「大東亜戦争」使うのは立場の表明を意味 陸自投稿に思慮はあったか

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聞き手・平賀拓史
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 陸上自衛隊第32普通科連隊が、X(旧ツイッター)の公式アカウントで「大東亜戦争」という用語を使い、その後削除した。「大東亜戦争」という言葉を今日用いることには、どういう意味があるのか。近現代日本史の歴史認識に関する著作が多い、成田龍一日本女子大学名誉教授(72)に聞いた。

陸自の投稿を巡る経緯

 陸上自衛隊大宮駐屯地(さいたま市)の第32普通科連隊が、X(旧ツイッター)の公式アカウントで5日、硫黄島(東京都)であった日米合同の戦没者追悼式を伝える投稿で「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島」と記述。ネットなどで「侵略戦争を正当化する用語だ」などと議論を呼び、同隊は8日に投稿を削除。「大東亜戦争」を使わない文章に変えて再投稿した。木原稔防衛相は「(大東亜戦争は)一般に政府として公文書に使用していないことを踏まえた」「硫黄島が激戦の地であった状況を表現するため、当時の呼称を用い、その他の意図は何らなかった」と説明。林芳正官房長官は「いかなる用語を使用するかは文脈にもより、一概に答えられない」と述べた。

 ――「大東亜戦争」は、1941年の真珠湾攻撃後に大日本帝国政府が閣議決定した呼称です。戦争を始めた日本側が定めた呼称を留保なしに用いることにはかねて批判があります

 「大東亜戦争」という言葉を使うことは、戦争の反省の上に成り立つ戦後社会を認めたくない、という一つの立場表明、イデオロギーとなっています。恐らくそういった認識がないまま、今回「ニュートラル」な言葉のように用いられたことは問題です。この件を批判するにあたり、「大東亜戦争という言葉を使うのはけしからん」と切り詰めてしまっては不十分だと思います。

 歴史事象を説明するとき、当時使われた言葉をそのまま使うことはあまりない。明治維新も当時は「御一新」などと呼ばれていました。後世になって、あの出来事は何だったか、どういった位置づけができるかを整理して、「明治維新」と概念化するのですね。概念、すなわち歴史用語は起こった「事実」を説明するとともに、起こったことに対する「解釈」を合わせて含んで説明しているのです。

 私の肌感覚ではありますが、どの戦争も戦後60年くらいが経てば、戦争を経験した当事者が亡くなり、その子ども世代も引退する。そうして関係者が一線から姿を消した段階で戦争は「歴史」となり、呼称が定まっていくはずなのです。

 でも、「あの戦争」に対してはそうはならないまま現在まで至っています。呼称が定まらないまま、現在までぐずぐずと議論をひきずってきました。

 ――なぜなのでしょう

 まず、負けた戦争だったという負い目が大きいでしょう。しかも、日本は自分であの戦争を反省して総括することができませんでした。

 同じ敗戦国のドイツは、隣国と地続きの中で秩序を取り戻すために、とにかく早急に反省の意を示す必要があった。実際にそうしたかは別としても、自分たちの非を認め、我々はナチスから脱却していると、積極的に掲げる必要がありました。

 一方日本は、戦争の責任を誰…

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この記事を書いた人
平賀拓史
文化部|論壇担当
専門・関心分野
歴史学、クラシック、ドイツ文化など