長崎原爆の投下時、周辺域で雨や飛散物が降ったかを検証するため「被爆体験記」を調査してきた厚生労働省は今月、雨や飛散物の記述は存在したものの、「降雨などを客観的事実として捉えることはできなかった」と結論づけた。実際の記述はどんなものだったのか。
11日に公表された厚労省の報告書によると、調査は、約13万件の被爆体験記などから、8月9日当日に旧長崎市の外側の地域で原爆に遭ったとみられる体験記など3744件を抽出。それらを読み込み、雨に関する記述41件、飛散物に関する記述159件を確認した。その半数以上が戦後50年を迎えた1995年に書かれたものだ。
雨の記述は、当時の時津村や長与村のほか、大村市や諫早市でも確認された。飛散物は、「すす」「書類」「布」などの表現を抽出し、茂木町や三重村など長崎市周辺だけでなく、爆心地から30キロ以上離れた島原市や加津佐町(現在の南島原市)でも記述があったという。
国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館で、記者が該当する体験記の一部を調べると、地域ごとに様々な描写が確認できた。
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