原爆文学「屍の街」 作中の「女の子」が語る作者大田洋子との思い出

有料記事核といのちを考える

柳川迅
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聞きたかったこと 広島

 《「学校へ行っとたけエ、先生がみんなの名をよびよっちゃったん。松井重夫ッいうちゃったとき、ぱアっと光ったん」

 かあいい声でよく話す女の子は、両手をぱあッと大きく、力いっぱいひらいて見せた。少女の開いた掌(てのひら)の間から、私は青白い火花がほんとにとび出たような気がした。》

 自身の被爆体験をつづり、原爆文学の金字塔とされた作家大田洋子の「屍(しかばね)の街」の一場面。「かあいい声でよく話す女の子」は当時、玖島国民学校1年生だった小田洵子(じゅんこ)さん(86)=広島市佐伯区=のことだ。

 大田洋子(1903~63)は帰省中に広島市内の妹宅で被爆した。市内から逃れた大田が身を寄せたのが、少女時代を過ごした玖島村(現廿日市市)で、「屍の街」は45年8~11月にそこで執筆された。

 大田は、小田さんの祖父が営む雑貨屋「松本商店」の2階に下宿していた。小田さんは「兄弟もいなかったから、おばちゃん、おばちゃんと言って、学校から帰ると毎日話をしに行っていた」と懐かしむ。

「活動写真かのお」騒いだ男の子

 45年8月6日のことは今も…

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    田中美穂
    (カクワカ広島共同代表)
    2024年7月3日12時54分 投稿
    【視点】

    “思いもかけず”「被爆者」になった人々がいます。それは何もいきなり自身の身体に被ばくの影響が立ち現れたということでは当然なく、あの日からずっと背負わされ続けてきたことをやっと国が認めたということです。そして、小田さんがそうだったように、黒い

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