磯野真穂×永井玲衣 コロナ禍と出会い直し、問う「信じられる言葉」

Re:Ron発

Re:Ron編集長・佐藤美鈴
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 朝日新聞の言論サイト「Re:Ron(リロン)」での人類学者・磯野真穂さんの連載「コロナ禍と出会い直す」が書籍化されたことを記念して、磯野さんと、様々な場で哲学対話を試みる哲学者・永井玲衣さんが語り合う「信じられる言葉はありますか?」と題したイベント「Re:Ronカフェ」を7月21日に朝日新聞東京本社で開催しました。会場では、対談後に参加者との交流会も。「対話」を通して、さらに考えを深めていくことを試みました。前半の対談の抜粋をお届けします。

Re:Ronカフェ 対話を通して考え深める

 「コロナ禍と出会い直す」は、フィールドワークや人類学の視点を通してパンデミックが映した日本社会を考える連載。昨年4月のリロンオープン当初から今年1月にかけて32回にわたって配信し、5月に『コロナ禍と出会い直す 不要不急の人類学ノート』(柏書房)として出版された。

 企画の始まりについて磯野さんは、2020年3月、世の中が「緊急事態宣言を出せ」という言葉で埋め尽くされたように見えたとして、「基本的に政府が国民の自由を制限して管理する宣言を、国民の側、かつ政権を批判している人たちが言う事態が何より恐ろしかった」と振り返った。

 さらに、非正規で働いていた自身の経験から、緊急事態宣言によって「都合のいい労働力」として切り捨てられる人が出る危機感と同時に、仕事をオンラインにできて給料にも影響がない人たちによる「弱者を守れ」「命は大切」といった「きれいな言葉」が信じられなかった、と語った。

 一方、学校や企業、路上など様々な場で対話を試みる永井さんは、教室で15分に1度換気したり、手を洗っているとアピールしたり、ちょっとせきをしたら「コロナじゃないです」と言ったり、「自分もその混乱の最中にいて、それに参加していた感覚がすごくある」といい、「『振り返る』ではなく『出会い直す』という言葉は、そんな自分にも出会っていく過程でもある」と語った。

「安心」「大丈夫」…揺らいだ言葉

 永井さんはコロナ禍について「『安心』といった言葉をこれほどボロボロにしてしまった時期はなかった」と指摘。コロナがあってから対話の場を作る時に「安心できる場所を作りましょう」といった言い方ができなくなってしまったという。「言葉自体が空っぽになってしまったというか、むしろ不信を生む言葉になってしまった」

 対して磯野さんは、数々の創意工夫でコロナ禍を乗り越えた、鹿児島県介護施設を運営する「いろ葉」の取り組みを紹介。そこでの「安心」は「困ったことが絶対に起きない」というより、「困ったことが起きても大丈夫」だったとして、「誰かがコロナになるかもしれない、でも責められることはない。その後どうしようかという意味での『大丈夫』は保障された空間だった。全部中止・オンラインにしようというのは、コロナという点においては『安心』、でも人間として『安心』『大丈夫』なのかが揺らいだ時間だった」との見方を示した。

 参加者からは「周りに流されず、たとえ政府や学者の言葉であっても妄信することなく、自分で考える力を身につけるには、どのようなことに気を付ければよいか」という質問が寄せられた。

 磯野さんは「言った人がその後、どういう責任の取り方をしたのかは一つの羅針盤になる」「極端なものを排除していくと、真摯(しんし)に科学をやろうとしている人の声が聞こえてくる」とアドバイス。永井さんは、哲学者は「何でも知っている人」というイメージで見られがちだが、「分からないと勇気をもって言う人」でもあるとして、「『分からない』を掘り下げていったときに他者とつながる契機がある。他者と共に言葉を編みながら、進むしかないんじゃないかとも思う」と話した。

 一方で、コロナ禍では「色々分かりだしてくる局面はあった」と磯野さん。人と人とを隔てるアクリル板は、設置の仕方によってはむしろ感染リスクを高めかねないといったデータや、ワクチンである程度の重症化を防げるというデータがやがて出てきた。にもかかわらず、感染拡大のたびに、その原因が国民の「気の緩み」に求められ、感染対策を緩めることが困難になった。また「個人の判断」と言いながら、実際起こったことは個人の判断とは言い難く、横並びの極端な対策が続いた、と指摘。「確かに分かっていることをちゃんと大事にする社会の構造を作っていくことも重要なのでは」と投げかけた。

信じられる言葉はありますか?

 磯野さんから「信じられる言葉はありますか?」と問われた永井さんは「この言葉が信じられるってポンッともってきてというよりは、みんなで踏みしめながら信じることを作っていく。対話では、じゃあここまでみんなで踏みしめたからこそ、この言葉は何とか使っていこう、みたいなことをやっているのかもしれない」と応じた。

 加えて永井さんは、「詩」のように明確に宛先があって聞き届けられようとしている言葉にも重さを感じる、とも。

 ハンセン病の元患者が書いた「訴歌」の一行詩をそらんじた。

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 あなたはきっと橋を渡って来てくれる

 会いに来てください明りが消えるから

 (いずれも辻村みつ子、1992年)

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 「その背景には、来てくれないというのがどっしりある。人々はこちらに来てくれない。でも、あなたはきっと渡ってきてくれる、と。そういう決死の言葉、明確に社会に向けて訴えている言葉は、信じると言っていいのか分からないけど、ひきつけられてしまう」

 磯野さんが「常に立ち返って考える言葉」は、がん闘病生活の後に19年7月に逝去した哲学者・宮野真生子さんとの往復書簡『急に具合が悪くなる』での言葉だという。磯野さんは本を手にとり、「言葉って不思議で、言葉として発せられていない、後ろ側にある発信する人の意図みたいなものが言葉にのってくる場合がある。出会う側の状況も重要で、それがうまい具合に出会った時に、信じられる言葉は発生する。実は私たちが信じているのは言葉ではなくて、その言葉の裏側なのかもしれない」とかみ締めるように語った。

 最後に、それぞれ「言葉」を読み上げた。

 磯野さんは、吉野源三郎の小説「君たちはどう生きるか」から。

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 君も大人になってゆくと、よい心がけをもっていながら、弱いばかりにその心がけを生かし切れないでいる、小さな善人がどんなに多いかということを、おいおいに知って来るだろう。世間には、悪い人ではないが、弱いばかりに、自分にも他人にも余計な不幸を招いている人が決して少なくない。人類の進歩と結びつかない英雄的精神も空しいが、英雄的な気魄を欠いた善良さも、同じように空しいことが多いのだ。

――――――――

 この一節を紹介し、こう締めくくった。

 「コロナ禍って、ちょっとおかしいって思いながら、おかしいって言える人ってほとんどいなかったんじゃないかなと思うんです。でも、結局そうやってみんなが言葉を発しなかったことが、実は未来を潰していたことって多いんじゃないかと思うんです」

 詩や文学に育てられたという永井さんは「100年後も200年後も残っていく言葉にひかれる」として、大江健三郎の詩の一節を読み上げた。

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 小さなものらに、老人は答えたい、

 私は生き直すことができない。しかし

 私らは生き直すことができる。

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 「こういった言葉も一人で編めるものではなく、私たちで編み直そうとするものだと思う。『共に生きる』ということがここまでボロボロにされてしまった中で、『共に生きる』ってどういうことなのかにしがみついて、一緒に考えていくことを私は手放したくない」

【Re:Ronカフェ10月30日まで視聴可能】

Re:Ron連載書籍化『コロナ禍と出会い直す 不要不急の人類学ノート』(柏書房)刊行記念 信じられる言葉はありますか?人類学者×哲学者の対話

 いその・まほ 専門は文化人類学、医療人類学。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。一般社団法人De-Silo理事。応用人類学研究所・ANTHRO所長。著書に『他者と生きる リスク・病い・死をめぐる人類学』(集英社新書)、がん闘病の後に死去した哲学者・宮野真生子さんとの共著に『急に具合が悪くなる』(晶文社)などがある。Re:Ronでの連載が『コロナ禍と出会い直す 不要不急の人類学ノート』として2024年5月に書籍化された。

 ながい・れい 1991年、東京都生まれ。学校、企業、寺社、美術館、自治体などで哲学対話を行う。哲学エッセーの連載も。独立メディア「Choose Life Project」や、坂本龍一さん(故人)・Gotchさん主催のムーブメント「D2021」などでも活動。著書に『水中の哲学者たち』(晶文社)、『世界の適切な保存』(講談社、7月発売予定)。Re:Ronでアドバイザーを務めるとともに、「問いでつながる」を連載中。

言論サイトRe:Ron(リロン)

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この記事を書いた人
佐藤美鈴
デジタル企画報道部|Re:Ron編集長
専門・関心分野
映画、文化、メディア、ジェンダー、テクノロジー
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    中川文如
    (朝日新聞コンテンツ編成本部次長)
    2024年8月6日15時0分 投稿
    【視点】

    自分ごと化して、コロナ禍と出会い直してみます。わけもわからず、スーパーに並びました。トイレットペーパーを買うために。いい加減、マスク、外したいのに外せませんでした。周りの目が気になって。 「安全、安心」という言葉に、どこか胡散くささを感じ

    …続きを読む
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