3度焼け落ちた「国家の寺」東大寺の巨大僧坊 研究者も驚く発掘成果

有料記事

今井邦彦
[PR]

 天平時代には1千人もの僧らが暮らしたと推定される東大寺の三面僧坊。19日に発表された寺などの調査団による僧坊跡の発掘調査で、焼けた土の層が確認され、様々な記録に残る講堂・僧坊の3度の焼失が考古学からも裏付けられた。

 僧らが議論し、学ぶ場である講堂と、生活の場である僧坊はセットで建てられることが多い。国家の寺として多くの僧が学んだ東大寺では、講堂の東西と北を2重にコの字形に囲む長大な僧坊が建てられ、「三面僧坊」と呼ばれた。

 正倉院に伝わる絵図などから、東西約221メートル、南北約126メートルの規模だったと推定される。

 正倉院に伝わる文書には、大…

この記事は有料記事です。残り742文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【初トクキャンペーン】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら

この記事を書いた人
今井邦彦
専門記者|歴史・文化財
専門・関心分野
歴史、考古学、文化財、サブカルチャー