中森明夫さんが語る中山美穂さんのすごさ 長く支持されたわけは
中山美穂さんが急死した。アイドルとして登場し、俳優と歌手の両方で一時代を築いた54歳の早すぎる死だった。「すごさ」とは何だったのか――。アイドル評論家の中森明夫さんに聞いた。
ショックですね、若すぎます。まだまだ出来ることがあったはずです。1985年にデビューしてすぐにドラマと歌がヒットして、2002年の結婚で一時的に表舞台から遠ざかるまで、ずっと売れ続けた稀有(けう)なアイドルでした。中山美穂は、1980年代に「ママはアイドル」、90年代は「逢(あ)いたい時にあなたはいない…」「眠れる森」、2000年代には「Love Story」……と、ずっと大ヒットドラマで主役を張り続けてきました。映画「Love Letter」(95年)の頃から、俳優色が強くなっていった印象です。報知映画賞などで主演賞ももらい、認められた。韓国や中国でも大ヒットして、アジアでの人気もすごい。
一方で歌でも、WANDSと出した「世界中の誰よりきっと」の国内セールスは180万枚を超えました。ほかにも、「ただ泣きたくなるの」や「遠い街のどこかで…」などヒットを連発した。一時期は紅白歌合戦の常連でした。
やんちゃでちょっと性的なイメージを刷新
1970年生まれで、最初に注目されたのは、85年1月から始まったTBSドラマ「毎度おさわがせします」のヒロインでした。当時、14歳の中学生ですよ。「毎度おさわがせします」はゴールデンタイムなんだけど、少年少女の性を割と明るく大胆に描いた。彼女も下着姿になったりなど、現在の放送基準では考えられないドラマ。それがシリーズ化するくらいヒットし、彼女も大ブレークした。
さらに、中学卒業後の6月に…