78年前の昭和南海地震を伝える手記発見 高知の被災の様子が克明に

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亀岡龍太
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 終戦に続く混乱期の1946年12月21日に発生し、高知県内で600人以上が死亡・行方不明となった「昭和南海地震」。当時の高知市の様子や被災者の暮らしを克明につづった手記が見つかった。次の南海トラフ巨大地震に備えるための貴重な資料として注目されている。

 書いたのは当時の高知市教育課長で、後に初代教育長を務めた伊藤盛兄(もりえ)さん(当時51、97年死去)。ペン書きされた数十枚の紙が厚紙で挟んでひもでとじられ、「三災記」と題されていた。

 「(揺れは)止まりどころか一層激震となり。『ヅー』といふ地震特有な地響と共に引き切りなしに微動を繰返し伝へて来る」

 手記には、伊藤さんが地震当日の午前4時過ぎ、間借りしていた高知市下知地区の幼稚園の一室で、揺れに目覚める場面が記されていた。

幼い娘を抱いたまま、運を天に任せた

 「日本被害地震総覧599―2012」によると、震源は四国沖で、マグニチュード8・0。

 被害は25府県に及び、死者…

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