ホーリーホック社長 「節目の年にサプライズ起こす」
サッカーJ2水戸ホーリーホック(MHH)が今年、1994年のクラブ創立から30周年を迎える。2000年にJ2へ昇格後、J3への降格はないが、J1への昇格もない。24日の開幕を前にした意気込みを運営会社フットボールクラブ水戸ホーリーホックの小島耕社長(49)に聞いた。
――この30年の歩みを振り返ってどう思うか
Jリーグ(93年開幕)の歩みと軌を一にしています。全国の地方都市にプロスポーツクラブができ、それぞれのまちに新たなスポーツ文化が生まれた。30年を経た今、各地で根付かないケースもあったが、MHHは地域で強くたくましく根を張って前進してきた。多くの皆さんのお力添えがあってこそです。
――「J2の主」との呼び名もある
当然、J1昇格をめざしています。節目の年なので強く意識しています。クラブに関わってくださったこの地域の方々への感謝の気持ちを結果で示したい。何より皆さんに感動と熱狂を生むのはピッチ上のプレー。一丸となって注力する。
編成面では今季、大幅に顔ぶれが刷新されました。新たに新卒9選手、移籍7選手が加入。日本のサッカー界の将来を担うような若い人材が多く集まってくれた。
事業面ではファンを増やし、スタジアムに人を呼ぶことに尽きる。皆さんの声援に背中を押されてこそ選手たちは走れる、勝てる。
――茨城県内にはJ1鹿島アントラーズがいる。商圏は狭く集客は厳しいのでは?
MHHは県央・県北の15市町村をホームタウンとしています。人口は100万人以上。私どもがコミュニケーションを取っていない方々がたくさんいる。ファンになってくれる個人、スポンサーとなる企業など、大いに可能性を秘めている。MHHは約140の個人や企業・団体が株主で、特定のオーナー企業のいない、市民クラブです。皆さんに「自分のクラブ」として応援していただける。
1試合の平均入場者数はJ1昇格を競った19年が最多で約6千人、23年は約4千人弱。この間、コロナ禍があった。だが災い転じて一から基盤となるファンベースを作り直すのもありだと思う。実は入場料収入は19年よりも23年のほうが上。無料券の発行を抑えた成果です。しっかりお金を払ってスタジアムに来てくださる人を増やす。
――そのために必要なものは何でしょう
スタジアムに非日常の空間をつくる。スタッフのホスピタリティー、グルメ、イベント、子ども向けのピッチ体験、といったことです。お客様にとってスタジアムでしかできない体験を味わっていただけるようにしたい。
そのほか21年には農園をつくり農事業に参入、今月から障害者チームも始動した。地域に根ざした様々な取り組みをしています。
もちろんシンプルにスポーツの素晴らしさを伝えるのが大前提。その上でMHHがファン、企業・団体、自治体の間をつなぎ、新たなコミュニケーションを生み出す。MHHはそんな地域のプラットホーム、装置だと思っています。
――近年はMHHで育った若手がJ1や欧州へ移籍するケースが目立つ
悩ましいところです。オーナー企業がいないので選手補強に使える資金が潤沢にあるわけではない。でも選手育成を維持しながらチームとしてJ1をめざす。このスタンスは貫き通す。
22年に売上高が10億円を超えた。事業体として着実に成長しています。まだまだJ2でも事業規模は小さいほうですが、そんなクラブがサプライズを起こす。皆さんにスタジアムへ足を運んでもらい、一緒にサプライズの当事者になっていただけるとうれしい。
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こじま・こう 1974年、現在の茨城県鉾田市出身、茨城高校卒業。Jリーグ開幕の熱狂を目の当たりにし、「浪人時代は水戸の予備校よりも(鉾田の隣にある)アントラーズのスタジアムにいた時間が長かった」とサッカーにのめり込む。明治大学商学部を卒業後、出版社の営業職の傍ら横浜FC公認のボランティア記者を務める。サッカー専門新聞「ELGOLAZO」の編集部デスクなどを経て、2020年からフットボールクラブ水戸ホーリーホック社長。
年間売上高と1試合平均入場者数
2018年 約6億円 4938人
2019年 約7億円 6087人
2020年 約7億円 2019人
2021年 約8億円 2696人
2022年 約10億円 3140人
2023年 約11億円 3726人
水戸ホーリーホックの沿革
1994年 クラブチーム「FC水戸」発足
1997年 プリマハムFC土浦と合併。水戸ホーリーホックに
1999年 JFLからJ2への昇格が決まる
2000年 J2リーグ初参戦。11チーム中9位
2003年 1試合平均入場者数が初の3千人超え
2009年 初の勝ち越し(21勝10分20敗)で18チーム中8位
2020年 小島耕社長就任