ヘルプ
マイページ
ウクライナの首都制圧をめざしたロシア軍は2~3月、近郊の街々を占領し、破壊を続けた。死亡者はブチャ地区だけで458人。あの1カ月間に何が起きていたのか。ブチャ周辺の現場にいた人々の証言を伝える。
■【証言(1)】ウクライナ軍即応部隊のスキフ司令官とスタースキー広報官 「滑走路の破壊は、賢明な判断でした」 首都キーウ近郊の街ホストメリは激戦地の一つだ。この街のアントノフ国際空港には、侵攻初日にロシア軍の猛攻があり、降下部隊が続々と降り…[続きを読む]
■【証言(2)】オレフ・チャウスさん 「地下は真っ暗、零下でした」 ロシア軍が侵攻直後に占拠した集合住宅が、キーウ近郊のアントノフ国際空港の真横にある。住宅に残っていた住民は立ち退きを命じられて、地下室に押し込められた。 事実上の監禁生活だ…[続きを読む]
■【証言(3)】元タクシー運転手のバレンティン・ディドコフスキさん 「対戦車砲を手にロシア軍を待ち構えた」 ■たばこくれ。 4月25日、キーウ近郊ブチャを南北に走るボクザルナ通りで取材中、同僚のフォトグラファー、竹花徹朗記者に、そう声をかけ…[続きを読む]
■【証言(4)】解体作業員のパブロ・ブラソブさん 「自分も遺体になる寸前でした」 ロシア軍がブチャから撤退後の4月、ウクライナ軍当局の公開映像が世界に衝撃を与えた。 通りに放置された遺体を避けてジグザグに走る車から撮影された映像だった。 犠…[続きを読む]
■【証言(5)】エブゲニ・クズネツォブさん 「遺体が路上に見えました」 ロシア軍の占拠下で、多くの民間人の遺体が放置され、「死の通り」と呼ばれるヤブロンスカ通り。 あの1カ月間で何が起きたのか――。5月12日の夕暮れ、証言してくれそうな住民…[続きを読む]
■【証言(6)】ドミトロ・マラシェンコさん 「ロシア兵は動くものは何でも撃った」 ヤブロンスカ通りで取材中に声を掛けてきてくれたのが、ドミトロ・マラシェンコさん(30)。日本から取材に来ているということを喜んでくれた。 雑談していると、「こ…[続きを読む]
■【証言(7)】ブラディスラブ・ギボトフスキさん 「ロシア軍が残したのは、ごみの山です」 ヤブロンスカ通りから50メートルほど入った地域にある民家で、庭の片付けをしていた男性が見えた。門扉越しに声を掛けると、ブラディスラブ・ギボトフスキさん…[続きを読む]
■【証言(8)-1】元ビル警備員のイエブドキア・ゴレノクさん 「何とか修復し、暮らしていくしかない」 多くの遺体が放置されていたことから「死の通り」と呼ばれるヤブロンスカ通りにも、ロシア軍の撤退後、住民たちが戻り始めている。 5月、ノートと…[続きを読む]
■【証言(9)】救急救命士のルドミラ・スカカラバさん 「ロシア軍は救急車にも攻撃してきた」 戦闘が激しくなり、路上に横たわる民間人の遺体が増える中、ブチャでは、多くの住民が危機感から市外に退避した。 一方で、ブチャに残った人々もいる。 公立…[続きを読む]
■【証言(10)】ブチャ市役所職員のセルヒー・カプリチニさん 「私の感情は停止していた」 ロシア軍の4月の撤退直後、キーウ近郊ブチャのヤブロンスカ通りの映像が世界に衝撃を与えた。 路上に放置された数々の遺体が映し出されていたからだ。 これら…[続きを読む]
PR注目情報
PR注目情報