もうすぐ国慶節。香港に大陸客が大挙して訪れ買ひ物に狂つたのも懐かしいこと。今では反送中での大陸客来港制限と疫禍で香港で大陸客相手にした薬局など危機的状況。蘋果日報は香港の最終裁の首席裁判官・馬道立の「司法機構は政治化するものではない」といふ言葉を取り上げ「左派に反撃」と。
台風Ⅻは風こそかなり強かつたが雨は全く降らず。夕方五時半ともなると、もうかなりの夕暮れとなる。
▼これ、かなり長編だが江川紹子さまが安倍政権を総括してゐる。
(安倍政権が残したもの)江川紹子「私たちが大事「彼ら」は攻撃 の「カルト化社会」 - 毎日新聞
――安倍政権の時代に何が変わったのでしょうか?
社会から「熟考」がなくなった。反対する人の意見を聞きつつ考えを練り直すことが少なくなった。政治の場合、最終的には多数決でも、よく話し合い、より多くの人が納得することを目指すのが民主主義のプロセス。だが手間や柔軟性が必要とされる、そういうプロセスを厭い、違う考えは受け入れないという非寛容な雰囲気が広がっている。これは安倍政権側だけではなく、それに反対する人たちにも言えること。「アベ政治を許さない」が高じて「安倍死ね」みたいな極端な言動まで飛び出した。
――安倍さんは自分に批判的な人に対して「こんな人たち」という分断を生む言葉を使っていました。
自省と寛容さがないから。安倍さんは情の人だと思うが情の行きわたる範囲が一人称の範囲にとどまっている。自分に近い人と自分を支持してくれる人、つまり「私たち」が大事。だから「私たち」対「彼ら=こんな人たち」になってしまう。「こんな人たち」も国民で「自分は国民全てに奉仕する立場」という発想が希薄なのではないか。桜を見る会などで「仲間内だけを大事にする」という批判を受けても、まったく自省は見られない。支持層も同様で「私たちの安倍首相」の言動に少しでも批判的なコメントが許せない。全肯定しない者を全否定して攻撃する。
その点は「アベ政治を許さない」人たちも同じ。例えばハンセン病の家族訴訟の控訴見送りについて評価すると、そういう是々非々の態度は「日和っている」と見えてしまう。政府がやることは常に全否定しないとダメ。
ちなみに江川さんは親安倍からは「パヨク」と呼ばれ反安倍からは「ネトウヨ」とまで呼ばれるさうな。この記事はもつと/\続くのだが、後半で指摘してゐることが今日偶然届いた奈良は明日香村にある岡本寺からの葉書説法に書かれた内容と同じ指摘で、この葉書説法をありがたく読む。
山下洋輔さまのベートーベンのソナタ……馳せ参じて聴きたいが、この日は水府で所用あり残念なところ。これはライブ盤で出たりネット配信はないものかしら。