開かれた台所、台北

2008.05.30 Friday 19:37
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    人にはそれぞれ、しっくりくる土地というのがある。
    はじめて訪れたのに、なんとなく懐かしい場所。
    自分の細胞の遠い記憶が残っているような街が、世界のどこかしこにあって、そんな場所に思いがけず遭遇するのって、旅を続ける醍醐味だなあ、と思う。
    こればかりは、写真集やガイドブックじゃわからない。その土地にじかに立ったことのあるものだけが知る、ささやかだけれど何者にも変えがたいヒミツの体験。



    15年ほど前の8月、灼熱の太陽と排気ガスと喧騒渦巻く台北の街に降り立ったとき、ああ、この場所が私は大好きだと思ったのだった。
    あの不思議な体験をまたしたくって、15年ぶりの台北に降り立つ。


    私にとって、アジアはどちらかといえば相性が悪い場所だ。2度足を運んだ香港には、喧騒と湿気と街中を漂う八角の香りの思い出だけが残り、近代化の波激しい上海に至っては、嫌悪に近いしこりのような後味が残った。トランジットのために立ち寄ったソウルの独特の空気感とにおいの思い出は、韓国への再びの訪問の機会を封印してしまい、期待していたはずのインドネシアの地でさえ、ひそやかな落胆が私を待ち構えていた。
    ホーチミン、バンコク、北京、蘇州。行ってみたいと願っていた場所はたくさんあったはずなのに、重ねていくひとつひとつの旅の思い出が逆に私をアジアから遠ざけていく。

    そうだ、台北に行こう。

    この場所が好きだ、と思った自分を探しに。
    台北のその場所に、何があったのかを確認しに。


    排気ガスと喧騒の殺伐とした風景と、夜市と屋台の怪しく活気に満ちた世界が混沌としていた台北は、15年後の今、世界で一番高いビルとブランドショップがひしめくおしゃれな街に変身していた。市内の足がほとんどなく、観光地めぐりにも難儀したはずの街には、縦横無尽に清潔な地下鉄が張り巡らされ、新幹線が台北と島の南端部を縦断している。
    あら、びっくり。
    ここは台北?



    高層ビルの中にあるMIUMIUやLouisViton、TODSやCHANNELの店を冷やかしながら歩いていたら、たどり着いた地下は巨大でおしゃれなフードコートだ。昔ながらの台湾フードも軒を並べているけれど、街中ではほとんど見かけなかったパスタやピザの店、ハーゲンダッツやスターバックス、寿司バーから日本式しゃぶしゃぶまでよりどりみどり。

    15年前。朝食の時間に街を歩けば、どこからともなくリヤカーの屋台が道端に集い、出勤前のサラリーマンがビニール袋にラーメンやお粥を入れて口をゴムで縛ったものをぶら下げて歩いていた台北。午後からわらわらと集まりだす繁華街の屋台では、檻に入った鶏やへびがうごめき、野菜に混じって生きた蛙が網の中で飛び跳ねていたはずの街、台北。
    あの景色はなくなってしまったのだろうか。で、こんなこぎれいなビルのフードコートに、こじんまり収まっちゃったんだろうか?


    そこはかとない不安にかられながら、裏道に迷いこむ。
    そして、安心する。
    ほっ、よかった。



    夕暮れの繁華街には、独特のにおいを振りまく臭豆腐や、かぎ爪の形をした鳥の足をそのまま揚げて串にさしたものや、その他もろもろ、日本人である私がどんな想像力を駆使してもその原料の想像がつかない、得たいの知れない(しかし強烈なエネルギーをはらんだ)食べ物を並べた屋台が次第に集まりだしている。
    ここで100円200円を払って、小さなパイプ椅子に腰掛けて、台北っ子たちは紙皿で日々の食にありつく。この、素朴で健康な食欲。
    そうだ、こんな飾り気のない、おおらかで元気で素朴な食の姿に、私は「ああ、この場所が好きだ」と思ったのではなかったか。

    近代化や、中国との微妙な関係で変化を続けているはずの台北は、その食の場所でしっかりと、そのアイデンティティを保っている。
    そして、何よりも台湾の食は、私の舌にとてもあっているのだなあ、としみじみ思う。

    韓国料理の主張の強さもない、中華料理の複雑さや、贅を尽くした技巧もない。一方で、タイやベトナムのような南国の独特なスパイスやハーブもさほど主張してこない。それなのに、はらわたの底から染み渡るような滋味がある。そして何より、一皿の量が少なく、味があっさりと薄めだ。
    これをきりりと冷えた、涼しげな緑色のビンで供される台湾ビール(ピーチュゥと発音する)とともに食らう。食後には、ひっそりとたたずむ茶芸館で深遠とした時間に埋没する。

    そうして、のんきな旅行者である私は、つい気をゆるめてあれもこれもと手を出しはじめる。そうして強烈なしっぺ返しを食らう。得もいわれぬにおい、強烈な食感。日本人の私には到底太刀打ちできない魑魅魍魎の世界が台湾料理には潜んでいて、そんな怪しい風情がまた、食の好奇心をそそるのだ。



    強烈なエネルギーと静との対比。
    食が台北の街を形作っている。とても好ましくて、そして大切な風景だ、としみじみ思う。

    そんな台北には、屋台のほかにも、こじんまりと清潔な、日々の普通の食事を淡々と作り続ける食堂が街のあちこちに存在している。日本では「家族で食卓を囲め」だの「料理が得意な母親のいる家庭の子は頭がいい」だの、わけのわからん「おふくろの味」礼賛があるけれど、台北の女たちはどこも家でさほどごはんは作らない。
    これはきっと、香港でもバンコクでも同じ。

    これだけ、安くうまいものを食べさせる場所が街中にあふれているのだ。
    仕事がえりに、夕暮れ時に。さらっと街に出てコイン1枚出してその日の糧にありつく。
    飲んだくれたり、食べ過ぎたりもしない。延々と何時間もかけて食事の儀式をすることもない。必要なものを必要なだけ。でもその素材の多様さと食堂と屋台の数の多さは目を見張るほどの豊かさだ。



    衛生的にどうなのか、だの、パイプ椅子の狭い店内や道端で食べたくないだの、そんなことを言いたがるやつは日本の住宅街を埋め尽くしているチェーン店のファクトリーフードでもジャンクフードでも食べていればよろしい。
    街の女たちが作るシンプルな手作りのメシ。豊富な食材と素直に万人に開かれた台所。これに勝る風景が他にある?

    なあんだ、これでいいじゃん。
    これで、何が悪いの?
    ごはんってこういうものでしょ?
    つくづく、思う。
    日本のメシはうまいけれど、そのメシを取り巻く大義名分は、なんだかとてつもなくおかしなことになっている。台北のごはんに、だから私は心底ほっとする。


    香港も上海もまったく受け付けなかった私が、なぜ台北に惚れるのか。
    これはほんとに大きなナゾなのである。
    でもって、こういうナゾにはあまり理屈というものはなく
    ただただ
    その場に降り立って
    その場所の空気を吸って
    その場所のうまいもんを食って
    その場所の水で入れた風呂に入って、土地の言葉を聞いているうち
    自然と細胞の記憶みたいなものが反応して生まれる感情なのかもしれない、と思ったりもする。

    とにもかくにも
    そんな台北の話はまた続きます。


    category:アジア旅歩き | by:武蔵野婦人comments(0) | - | -

    バリ島、置き忘れたもの

    2008.05.01 Thursday 10:48
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       まじめに平凡に公務員の仕事を勤め上げた父にとって、海外旅行は人生の選択肢にあったことがなく、彼は定年後に生まれてはじめて飛行機に乗り、日本以外の土を踏んだ。場所はグアム島。「両親を海外に連れていく」という使命に燃えていた私は、碧い海と広い空に父も感動するものと、勝手に思い込んで家族旅行を計画したのだ。

       ところが。このグアム滞在2日目で彼は「もう何もやることがない」と旅を放棄してしまった。
       仕方なく家族がプールサイドや免税店に出かけて戻ってみると、夕陽が見える高級ホテルの部屋のカーテンを締め切り、カウチで囲碁の本を読んでいた。そんな日が4日続いた。
       結局彼のグアムの思いではホテルのカウチと囲碁の本とビールという形で残っただけで終わったようだ。日差しは疲れる、水につかるのも疲れる。俺はバスで観光地を回ってもらうような旅がいい。以降、どんなに誘っても父はグアムには足を向けなかった。

       私の父はフルパックで安全に、なるべく多くの場所を効率よく回ってくれるような旅がいいのだという。「自由に過ごしてよい」と見知らぬ街に放り出されたら、途方にくれてしまうのだ。


       そんな父が70歳になったとき、「一生のうち、もう海外に行くことなんてなかいもしれないよ。みんなで行こう。どこがいい?」と、もう一度海外旅行にいざなった。
       「うーん。ヨーロッパは遠すぎる。ハワイなんて行ってどうする。アメリカには興味がない。」(へ? 行ったことないくせに。。。。。笑)「じゃあ、バリ島は?」「あ、インドネシアなら行ってみたい」。おお。
       かくして、じじばば、娘と孫というユニットのバリ島観光旅行は実現したのでありました。



       成人して、社会人となり、そんな立場から両親を海外旅行に連れて行くというのは、自分にとってどこかで「一人前になった私」の確認作業だったのだ。
       初老で海外、父の希望でもあるパック旅行には「ニッコー・バリ3泊、リッツ・カールトンのヴィラ2泊」のコースを選ぶ。「もう一度来よう」という選択肢が限りなく少なくなっていく老年の旅に、費用を惜しんで何になる。移動にも、宿泊にもなるべくストレスを少なく。散財はしたくないけれど、少しのお金を惜しんで我慢せず、できることはなるべく体験し、行けるところに惜しみなく足を運び、うまいものを食べおみやげを買い、思い残すことがない旅をするぞ!

       家族でバリ島「一生に一度の旅」は、限りなく気合の入った旅だったのだ。

       さて、その中身はこんな風なものだった。

       到着したニッコー・バリのテーブルには山盛りのフルーツバスケットが。バスルームにはバラの花びらが浮かび、翌朝はルームサービスの豪華な朝食が部屋に運ばれた。ホテルには滞在者用のアクティビティがいくつもあり、私たちは海岸線をらくだに乗ってトレッキングし、バスに乗ってスミニャックに工芸品を探しに出かけ、ウブドの山の中でケチャックダンスを見たあと、美しい女性たちが踊って給仕してくれる王宮料理の店に行ってインドネシアの料理を食べた。 



       専用ガイドに頼めば、レギャンの海岸線の屋台にも、バリ島の陶器ジェンガラの工場にも、クタの海岸にもつれていってくれた。
       たぶん、家族で一度しかこないバリ。行き残した場所がないように、地図の中の観光地をくまなく塗りつぶさなくては、と私は燃えた。全部見せてあげたい。全部つれていってあげたい。脳内は完全に添乗員状態だ。



       後半に移動したリッツカールトンのヴィラには、大きな天蓋月のベッドとプライベートプールと、丘にせり出すようにしつらえられたあずま屋があり、ここに身を横たえるとバリ島特有の湿った植物と海のにおいに混じり、遠くからガムランの音が聞こえてくる。夜はこのあずま屋にルームサービスを頼んで、月明かりの下でお酒を飲みながらカードゲームをしてみたりした。何から何までが、快適でゴージャスでロマンティック。これぞ完璧なバリ島の旅だ!!!


       さて、そう思って帰国して数年。
       どうしたことだろう。

       今、バリ島は私の中で、とても希薄な場所として存在している。
      「キュンと胸が締め付けられるような、何気ない風景の記憶」とか、「一瞬の風のにおい」とか、ほかの都市にはたくさん存在するそんな「ノスタルジィ」ではなく、「行った」という事実と達成感が残る街として記憶されているのだ。

       旅をカタログ化してしまったのだ、と思ってみる。
       カタログには余白も行間もない。

       余白も行間もない旅は、私が思っていたこれまでの「旅」とは、ちょっと違うものだったのかもしれない、と今さらながら気づいてみたりもする。

       行くからには、なるべく効率よく全部見てこよう。体験できるものは全部やってこよう。だって、きっと二度と来ることはないのだから。
       日本のパック旅行は、たいていそんな意図のもとに設計されているけれど、それでもそんな風に旅行会社が企画したツアーの工程の中に
      「あのとき入り込めなかった路地の先に、何があったのだろう」とか
      「通り過ぎてしまったあの美しい街に降り立つのは、どういう気分だろう」
      なんて思いがたくさん残るから、旅は深みを増し、「行き残した場所」「知りきれなかった何か」を内包して、ノスタルジィな記憶を残すのだ。


       私はたぶん、そんな余白さえ残さない完璧な計画を作ってしまったのだ。
       そして、バリ島に何一つ忘れ物をしないで帰国してしまったに違いない。

       「もう二度と行かないかもしれない」場所であっても、旅は何か忘れ物をしてきたほうが、きっといい。
       知り得なかった何か、行ききれなかったどこか、という置き忘れたものがあるような気がするから、また行く口実が残る。

       そして、そんな口実がある限り、その場所と自分はつながり続けることができる。



       次にバリに行くことがあったら、ウブドの山に登ってたくさん忘れ物をしてこよう。
       そうじゃないと、なんだかバリ島に申し訳ないような気がするのだ。

       世界中に忘れ物をしたい。
       私にとって、旅とは、きっとそういうようなもの。

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