孤独のグルメから「きのう何食べた?」、そしてはるみさんのこと。未来の小さな灯りをさがして、今年もよろしくです

2020.01.05 Sunday 10:01
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    あけましておめでとうございます。

    気がついたらしばらく更新していなかった。理由はまた改めて。

     

    今年の正月は、風邪でダウンして6時間分の「きのう何食べた?」の録画をイッキ見したのち

    毎年恒例の孤独のグルメを見て、

    で、大好きだったはずの世界が、猛スピードで過去に遠ざかっていくのを感じました。

     

    そんなあたりで、ああ、ああ、時代は令和になったんだなあ、と。

    つらつら思ったのでそんなことを一年のはじめに書いてみることにします。

     

    閉塞感半端ないこのごろ。

    でもさ。

    希望があるよね。

    この先、私達が歩いていく先にあるべき世界について。

    小さな灯りをさがして。

    そんな気持ちで、とにかく今年もよろしくおねがいします。

     

    今年の正月は丸鶏鍋でごわした

     

    ===========================

    先日、友人が

    「改めてスタローンのロッキー1を観て驚愕した。

     エイドリアンへの兄の暴言、ロッキーはストーカーか? 

     それが愛情ってありえない。モラハラ、パワハラの巣窟で気持ち悪くなった。

     私達の若いころって、こんな時代だったのか」 

     

    という趣旨の話をしてて

    おー

    それ、ほんとにな。 と思った。

     

    ロッキー1の公開は1976年。

    この時代に「男」と「女」を生きていた世代が、いま企業の中枢にいたり、政権のあたりにいたりするんだけど

    それは、男が女を力づくで言うことを聞かせて、それを愛と女も思い込んじゃうみたいな。そんな時代だった。

     

     

    そのころ、私は向田邦子が好きだった。

    あこがれの、女性だった。

    なんというか、時代的に「ススンデル」先端の女性なんだと思ってた。

     

     

    ケーブルテレビを契約したとき、その向田邦子のドラマがじゃんじゃん放映されていたので喜んで端から観て

    驚愕した。

     

    なんだ、この女たちは。

    なぜ桃井かおりは男がタバコを出したとたんにライターで火をつけるのか。

    なぜ田中裕子は自分の意見をいつまでたっても口にせず、最後に家族に埋もれ、それで幸せだとひとりごちるのか。

     

    イライラした。

    向田邦子さん本人は素敵な自立した女性だったけど、彼女が描き続けてきたのはこういう女性たちだった。

    時代の閉塞感の中に生まれる、女のキラリとした自我や自由を、情緒豊かに描いたのだと思う。

    でも、何一つ、共感できない40代の自分がいた。

     

     

     

    ま、そんなわけで時代は変わる。変わっていく。

    ってか、変わらなくてはいけない。

     

     

    ということで年末の「きのう何食べた??」を、私はじわじわ涙しながら観て

     

    それで、なんも見るものがなくなったので、ずっと大ファンの井之頭五郎の孤独のグルメに移動して

     

    それで

     

    え?

     

     

     

    なにこれ。

     

    と、途方にくれたんだった。

    大好きだったはずの世界が

    はるか遠くに走り去っていくのが見えた。

     

    これはもう、違うのだな、とはっきりと感じて

    それで、心で小さく

    さようなら、五郎さんとつぶやいた。

     

    時代は明らかに、令和になったんだなあ、と思う。

     

     

    いつもスーツ姿で(それ以外見たことないぞ)

    パソコン片手に飛び回り、大晦日も海外出張しつつ

    それ、全部でカロリーどんだけ? の量の食べたいもんを注文したのち

    それ、全部でいくらだったん? の解答ないまま

    ふらりとアウエイのB級グルメを冷やかして歩く五郎さんと

     

    対して

     

    定時に戻って、スーパーでセール品をゲットし

    毎日恋人のためにせっせとごはんを作り、二人でおいしいおいしいと食べ

    家計簿をちまちまとつけて倹約しつつ

    マイノリティであることの障壁と抗いながら

    塩分とカロリーを押さえて、腹八分目で長生きしようねと

    微笑み合うゲイのカップルの日常を

     

    時代の大きな変化として感じ取れない政治家や企業がいたら、ほんまあかんわと思う。

    LGBTの設定の影に隠れているけれど(そしてそれもとても大事なことだけれど)

    これはやっぱり、変容したしあわせの形がそれぞれのドラマに現れているのだと思う。

     

     

     

    五郎さんは、付加価値のある「モノ」を動かしている独身の独立したビジネスマンで

    それは家族を持った企業のサラリーマンという昭和設定から見たら、十分新しい主人公像だったし

    お酒を飲まないのも新しかった。

    丼飯をおかわりして、味噌汁をズズズ、ズズと音を立ててすすり

    最後は生卵をカチャカチャ盛大な音をたてて混ぜてぶっかけ、スワスワ、くちゃくちゃとかきこむ姿は

    たぶん、「男の子がおいしそうにごはんを食べている姿」として共感を呼んだのかもしれない。

    (私は彼の立てる音がとてもいやなので、絶対に一緒にごはんを食べたくないけれど)。

     

    きのう何食べた? のシロさんとケンジの食べるごはんは

    倹約されながら家で作られていて、めったに外食はしない。

    それを二人は、本当にきれいに食べる。音は立てず、かっこみもせず、おかわりもしない。

    しらすとカブの葉の炒めものひとつに、壮大に喜んだりもする。

    それが、男性二人で演じられていることに、とても大きな意味があるように思う。

    シロさんが料理を作ると、ケンジは必ず説明をつけて「おいしい」と褒めて盛大に喜ぶ。

    ここもとても大事。

     

     

    語りだすとながーくなる(すでに長い)ので、まあ、そんな風に思いましたというあたりで終わりにしようと思うんだけど

     

     

     

    ここで、ちょい待て

    それって昭和の時代の主婦たちがやってきたことでしょ?

    男だから目新しいだけで、やってることは主婦と同じでは。と思う人もいるかもしれないので

     

    最後に栗原はるみさんで締めようと思う。

     

     

     

    はるみさんは今も、女性の憧れの的だ。

    特に美人さんでもなく、彼女の作る料理が特に特徴があるわけでもない。

    根底にあるのはただただ

    「家族の笑顔が見たくって」だ。

     

    料理も掃除もインテリアも、すべて「家族の笑顔が見たくって」。

     

    暫くの間、私はこのフレーズがとても苦手だった。

    そしてそれに群がる女性ファンを、本気で心配したりもした。

    もし、私の笑顔のためだけにはるみさんのやってることを母に家の中でされたら、息が、詰まる。

    料理はある種の支配でもあるので、「家族の笑顔」のために家事をするのは聡明ではない方法だということを

    私は、よーく知っている。

     

    でも

     

    日比谷シャンテのはるみキッチンの店内で

    木漏れ日の中

    白っぽーいテーブルセッティングで健康的で美しい料理をうれしそうに食べている女性たちの一群を見ると

    ああ

    やっぱりはるみさんはアイコンなのだ、と思う。

     

    主婦として家族の食事をていねいに作るというアイコンと思われがちだけど

    決して、そうじゃない。

    はるみさんに影のように寄り添ってきた栗原玲児さんという存在込みで、彼女は価値がある。

     

    彼女を認め、励まし、お膳立てをし、自らの人脈をもって売り込み営業をし

    一人前のアイコンに育て上げてくれた素敵なパートナーの存在を含めて

    女性ははるみさんに憧れるのではないか。

    栗原玲児さんの、はるみさんへの関わり方を知っている人なら、絶対にそう思う。

     

    キャリアを磨いて男社会で生き抜くストレスを引き受けるのは勘弁してほしい。

    でも、ほどほどのよい加減に場所に、自分の立つ場所は誰だって求めている。

    家族の笑顔のためだけに行われる仕事だけでは、それは得られないことは、もう昭和の時代でわかってしまった。

    自分の感じる閉塞感の根っこにあるのは、自分にとっての「栗原玲児さん」の不在という現実なのかもしれない、と

    女性たちはとっくに気づいているのかもしれない。

    マネージャーとして仕事を生むことだけではなく、日々、おいしいね、すごいねと仕事を支え続けてくれることこそが

    彼女の言う「家族の笑顔」だったのではと、栗原玲児さん亡き後、本当にしみじみ心に迫る。

     

    そういえば以前話題になった「逃げ恥」で語られた

    「好きの搾取」も、名言だった。

     

    シロさんとケンジのカップルのように

    それぞれが独立して仕事を持ち

    役割分担はあっても、相手を認め、褒め、喜び、伝え合うことの大切さみたいなものは

    シンプルで簡単そうに見えて、とても稀有なことで

    それを維持するには多大なエネルギーも必要なのだと思う。

     

     

    しあわせの形は社会側からは定義できないものなのに

     

    なにか一つの形に押し込めようとして

     

    それで取りこぼしてきてしまったものに

    私たちはもう、ちゃんと気づいているような気がする。

     

     

    スターウォーズも

    ターミネーターも

     

    リメイクばかりでどうなのよと観に行ったら

    ヒーローはすべて女性に置き換わって

    世界を救うのは女ばかりになってきた。

     

    性別によるイメージで物事を考える時代はもう終わりで

    私達はそろそろ、きちんと自分の足元を見なくちゃいけないよね。

    世界は、そんな方向に動いている。

    きなくさいことがいろいろあっても

    やっぱり、そう信じたい。

     

    日本、頑張ってよ。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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