離婚したら「家事」はびっくりするほどラクになったんだけど、という個人的な話。ラクじゃないこともある。いろいろだ。
表題は、あくまでも私個人の体験ってこと。
一般論じゃないから、同じ体験をしない人がいっぱいいいて当たり前なので、その前提で読んでね。
私に限っていえば、本当に離婚したら家事が楽になった。
結婚してたときのあれ、何? ってぐらい
劇的に楽になった。
人手は確かに1人減った。
でも、いたときからなんの戦力にもなっていなかったので、減ったからといって何の痛手にもならず
減ったのは、一人分の洗濯物、食事、散らかし跡で
それによる家事の全体量は、減った。
でも、劇的に楽になったと思ったのは、その1人分の家事量が理由ではないように思う。
離婚当時、息子は10歳で私はフリーでとても忙しく働いていたから
仕事と育児と家事の総量はおそらくキャパを十分に超えて、自分の許容量の1.7倍ぐらいにはなっていた。
(当時の私は朝4時に起きて8時まで仕事して、子供を送り出して家事してまた仕事して、夜9時に寝るという生活をしていた)
成人男性がひとり減った分の家事量は、許容量が1,5倍になるくらいの差しかなく
夫ひとりが発生させる家事 というのは、実は思いの外大きくないんじゃないかと思ったもんだった。
それじゃ、なぜあんなに楽になったんだろ?
それ、ただただ
「もうひとり仕事を負担すべき人間がいる」
という中で仕事をしているのか、ただ
「もうあたし一人しかいないんだから、そこでなんとかするしかないじゃん}
か、その違いだけなんだと思うんだった。
もうさ、一人しかいないんだから。
なんとかするしかないのよ。
で、できないと思ったらもう「しないわ」と自分で決められるわけで
横から「なぜしないの?」「部屋散らかってない?」などと言われることもなく
結果は自分で責任を持つという立ち位置で暮らしていけて
そんで、なんとかしなくちゃあかんなあと思うことは
一人しかいないわと思えば、火事場のアホぢからで、まあ、なんとかなっちゃうんである。
つくづく、家事の時短とかテーマにしててよかったと思った。
ほんと、なんとかなっちゃうんである。
この「自分しかいないとなったらもう、なんとかするしかない」というのは
車の運転で痛感したことがあったなー。
ATしか運転できなかった私が、結婚したら夫の車はマニュアルで、
何度か助手席に乗ってもらって手ほどきを受けたけど、
「うへー、やっぱり無理だよー。無理」って.
何度目かで諦めて、もう二度と運転しなかった。
それが、友人と北海道旅行をしたとき。
現地の友人が手配してくれていた車がマニュアル車で、すでにAT車は一台もなく
富良野の広大な風景の中で、免許を持たない友だちと私と、マニュアル車だけがポツネンと残されるという。
運転席に座ったときの、あの絶望感と使命感の入り混じったような決意に満ちた気持ち
いまでも覚えてるよー。
そこから、車の少ないロータリーで一人、クラッチの練習をして
坂道で半クラッチの練習を必死こいてして、それでなんとか北海道を周遊した。
やれば、できた。
ただ、これまではやろうとしなかっただけだったってことに気づいたんだった。
アメリカのハイウエイに、ほれ、と車で放り出されたとき。
フランスの田舎道でAT車で放り出されたとき。
あの、富良野での出来事を思い出せば、なんとかなるって思えた。
「無理だから」と視線を向ける誰か(結果的に引き受けてくれる誰か)がいることは、救いであり助けであるけれど、どこかで自分の可能性を減らすことにつながることもある。それまでの自分が「できないや、無理だ」と思ってきたことは、本当はできることがたくさん含まれていたのかもしれない、とも思えた。
話、それた。
でも、この「一人しかいなけりゃやるしかないから、なんとかなる」ってのは
あとからもう一度触れたと思うので今書いておくことにする。
さて、家事の話。
離婚したら劇的に楽になったのは
家事の量が減ったからではなく
同等に「やるべき」と私が(もしかしたら勝手に)思っている人間がもうひとりいることによる
「なんか私にばかり負担が偏ってね?」 とか
「ってかこういう時になぜ動かないかね、なぜ気づかないかね」
「この状況で寝転がってテレビ見ていられる神経が、もうまったくわからないんですけどっ!!!」
と、ブレブレに揺れまくる気持ちの針が
ゼロ地点にとどまったまま、まったく揺れなくなったことにある。
さらに
私がこうしたいと思っていること、こうあるべきと想定していることを
斜め方向からぶち壊されることがなくなり
いとも心穏やかに家の采配ができるようになった、という部分も大きいかもしれない。
家事の大変さってね
物理的な時間や労力の大変さもきちんと大きいけれど、
かなり部分を気持ちの大変さが占めている。
自分の時間がない
時間配分が自由にならない
想定外のことが起こる
些末なことに日々を占領されて終わっていく
そして
パートナーとの不公平感や承認されないことへの悲しみや不満。
わかってくれない
って、誰かが横にいたらとても大きなことだけれど
誰もいなきゃね
わかろうがわかるまいが、もう関係ないんだよね。
自分がわかってりゃいい。
その中で、似たような境遇の子と、
いやあ、大変だよー
よく頑張っているよ、私たち
ごほうびだ、ごほうびだ。
とやってりゃ、それでなんとか辻褄が合う。
誰かが隣にいてくれることって
大きな大きなちからだけれど
いることで生まれてくる気持ちというのもある。
家事については、この「誰かがいてくれることで生まれてくる気持ち」が消費していくエネルギーが
結構大きいんじゃないかなあ、と思うわけなんだった。
それでいくと、極論だけれど
夫という存在が
「家事育児は夫の領分ではなく、全面的に妻の仕事」という時代よりも
「同じように家事や育児に関わりシェアすべき」という前提が刷り込まれている今の時代のほうが
場合によっては気持ちの扱いが難しいということもあるのかもしれない。
あくまで、極論だけれども。
というわけで、私が家事をしている横で寝転がったり
余計な一言を言いながら何もしないじゃんかよー! という人がいなくなると
育ち盛りの子供がいたとしても、家事はなんともまあ、楽になった。
当時息子が10歳というのも大きかった。
ある程度のことは自分でできるけれど、家事を分担させたいほどの年齢でもない。
私の母は私が13歳からフルタイムで働きに出たので
中学生だった私への家事シェア期待度が超絶に多くて、どんなに頑張っても
やり残された家事を見つけては、いつも不満でブチ切れていた。
子どもへの家事シェアの期待度も、度を越すことがある。
あれは、とてつもなく辛かった。家にいるときの母は、いつも怒っていた。
家事をするのは嫌じゃなかったけど、いつもイラついて怒りを向けられるのが辛かった。
10歳の息子と、家事育児仕事の許容量1,5倍ぐらいの二人暮らしは
忙しくて大変だったけど、家事だけに関していえば、気持ちはずっと楽だった。
息子が中学生になったとき「おかんっていつも笑ってるよね」と言われて、それが私のココロの勲章にいまでもなってる。
その気持ちの楽さ加減が、「ああ、家事が楽になったなああ」ってところにつながったんだと思う。
いま、家事は夫婦でシェアすべきという考え方がベースになっていて
(これは私も一生懸命加担してきたので、とても喜ばしいことだと思う)
でも、それでもどこまで行っても平等なシェアなんてところにはなかなか行き着かず
男女ともに、さまざまなストレスを抱えているように思う。
たとえば、最近になって生まれてきた
「名もなき家事」
って言葉があるけれど、
あれも、「私ばっかりやってるじゃん」という気持ちが生まれる環境があるから
これも家事、あれも家事、たぶん家事、きっと家事♫
という項目があれこれ出てくる構造になってるんじゃないか。
シャワー浴びててシャンプーが切れてたら、あかん! 補充だ! と買い置きを出して入れ替えるけど
一人だったらなんの不満も起こらない。ひゃあ、面倒だー! と思うぐらいだ。
トイレットペーパーがなくなれば、当たり前のように新しいのを入れ替える。
家事には名もなき家事ってのがいっぱいあるんだよ!!!! 大変なんだよ! って思うのは
「もう、詰め替えるひと手間だって、本当に大変なんだから。知らないうちにやってるから気づかないだろうけど!!!」
とか
「おのれ、最後にペーパー切れたら新しいの入れとけよ」(軽い殺意)
「誰のためにやってると思ってんだよ。当たり前と思うんじゃねーぞ」
みたいに>笑、その気持を向けるだれかが家の中にいるからだ。
結局、家事は「分担」や「シェア」なんて言葉では考えないほうがよく
それぞれが自分のことができるようにスキルと気づく力を身に着けて
気づいた人がとっととやっておく、という関係性を作ることにあると思う。
もしくは私のように一人になる。笑 これは本当にラクなんじゃ。
(家事だけに関していえばだけどね)
シェア、シェアとこだわっているうちは、気持ちの穏やかさはなかなか生まれない。
家事はなかなか奥が深い。
家事、おもろ。
はっ。個人的体験を書いているんだった。
元に戻る。
さて、離婚したら家事はラクだ、ラクダと書きまくったので
一応、ラクじゃないことも書いておきたい。
でもなんだかとてつもなく長くなった気がするので、今日は家事のことだけ。
前半に書いた「一人しかいないと思えばなんとかなっちゃう」ことについて、言いたいこととか
それに関連して離婚してぜんぜんラクじゃなくなったことについて、また次に書いてみようと思います。
(忘れなければ)
両方ないと、不公平じゃよねー>笑
それでわ!!