「常識」と「視覚記憶」の書き換えをしたら食生活がドラスティックに変わった、という話
2015.12.14 Monday 23:18
お久しぶりです。
東京でいつも通りに暮らしていると、取り立てて書くこともないなあ、と思っていたんだけど、このところちょっと面白いことが起きたので、書いてみることにした。
しつこく、ごはんの話>笑
先日こちらにコメントをくださった方によると、Googleで「料理 面倒」と入力すると、2番目に私のブログが出て来るのだそうだ。あははは。
アメリカとかフランスに暮らしてみたら、なんだかごはん作りがとてつもなくラクチンで、日本であくせくしてたのは、ありゃいったい何だったんじゃろ? ってあたりから端を発している私の「ごはんづくり問題」については、ぜんぜん共感できねーよって人もいると思うんだけど、まあ、似たようなことを考えてくださっている方もいるってことなんだ、と思う(希望的観測)。
そんな私なんだけど、パリでの生活を2ヶ月ほど続けて、それから日本に戻ってきてはや半年が経過。
はやー。
その後、私の食生活には結構な変化がありました。
向こうにいた2ヶ月の間に、何よりも大きく変わったのは、次の3つでした。
これは、本当に劇的に変わった。
1、ごはんを食べなかった
〜もともとさほど固執もしていないので、食べたくなったりもしなかった
2、ごはん(主食)がないスタイルになったら、塩分が劇的に減った
〜ごはんとセットで成立するおかずの味付け、漬け物や味噌汁、佃煮などの登場が必要なくなったら、味覚がリセットされて、料理に使用する塩分が劇的に減った。それで気づいたんだけど、主食ご飯で構成すると、ごはんで塩分を緩和するので、どちらかというとしょっぱめの味付けのおかずが多かったんだなあと改めて。
こういう味覚になってからは、外食で定食とか食べらんなくなった。いろいろしょっぱすぎて。
味噌とかしょうゆの使用料もすごく減っちゃった。
3、いわゆる「うまみ調味料」の味を受け付けなくなった
〜ごはんや味噌汁、そばやラーメン&うどんの汁、日本で売ってる加工食品や総菜類を一切食べなくなったら、「うまみ調味料」が入っているものにすごく敏感になった。つまり、それだけ日本ではほとんどのもんに混入していたんだということがわかった。
帰国後は、粉末だしやコンソメはもちろんのこと、それまで便利に使ってた市販の「めんつゆ」は一切使えなくなった。だし成分のうまみに違和感あっておいしくない〜、って思うようになっちゃった。
ほんと、これは大きな食生活の変化でした。
白米&濃い目の塩分(しょうゆ、味噌の味付け含む)&うまみ調味料
これ、全部いらないなーって思ったら、食卓の風景すごく変わるわけですわー。
そして、もう一つの大きな変化が
「主食を柱として献立を考えなくなった」
ということ。
それまでは、今日のごはん何にしよー、って思ったら、まず決めるのは
ごはん? パン? 麺類?
ってところ。
それに合わせておかずを揃えるわけで、まあ、夕食はほとんどが「ごはん」を柱にするので、まずはごはんを炊いて、おかずを考えるという道筋を通るわけですが
それをごっそりはずしてしまうと
ごはんとセットになっていた
「一汁三菜」とか、「おかず&汁物&副菜」なんていう暗黙の決まり事みたいなもんが一気になくなって、食卓の「こうあるべき」という風景も、それまでの概念が吹っ飛んでしまったわけです。
いやああ、本当に面白い。
そこで気づいたのは
自分が割と若いときからごはん作りを通して踏襲していたのは
「食事とはこうあるべき」
という概念とともに
「食卓の風景は、こんな感じで成立する」
っていう、ある種の「視覚記憶」だったんだなあ、と。
ごはんと味噌汁を並べたら、メインのおかずをその向こう側において
そこに肉か魚が配置されていたら、付け合わせに野菜がないとどうも風景として落ち着かなくて、主婦としていけないことをしているような気になる。
付け合わせをつけたとしても、食器が3つだけではまだ落ち着かないから、横っちょに「副菜」の小さな皿か鉢を置く。
それでもなんだか成立しない気になり、漬け物を切ったり、佃煮や珍味なんかを出してみる。
おそらく、その「風景」の視覚記憶ってのは、親の代から受け継いだものが大きくて、さらには、料理本や雑誌や、旅館や料理屋の食事を見て培ってきたものなんだと思う。
まあ、それが「文化」というやつなんだから、とても大切なことなんだけど
どうやら
自分はそのあたりの「視覚記憶」で、自分のごはんづくりを複雑化したり、
必要以上に手間がかかるものにしてたんじゃないか、なんて思ったりもする。
そんなわけで、ここ半年間
私の食生活からは「主食」が消えた。
消えたというより、主食にこだわらなくなった。
それはやっぱりフランスで、「パンはなるべく食べない。健康に悪いから」って言う人たちにたくさん会ってびっくりした、って経験も大きいのかもしれない。
フランスではレストランに入ると、とにかく大量のパンがセットになって出て来るんだけど、精製された小麦粉は体に負担をかけるだけでなく、イーストフードなどの弊害もあるからパンの摂取量を減らして、野菜をたくさん取ったり、押し麦や豆などのシリアルを取り入れたり、そんな関心を持っている人が結構いる。
あんなにおいしいバゲットがあるのに、それを食べないなんて! と思ったけど、それは長い時間をかけて経験してきた、食への解釈なんだと思う。
そんな中で、「主食」を柱にしない料理の作り方、レシピというのは
日本の料理よりも、フランスで作られている家庭料理のほうが、バリエーションが大きくって
そういうバリエーションが増えたら、食卓の風景がすごく変わった。
今は、朝は野菜で作ったスープをちょこっと飲んで
昼には、ちゃんと炭水化物を取って
(ラーメンとかパスタとか。定食系や丼ものとかチャーハンとかカレーとか、そういう食べ物は昼にまとめてちゃんと食べる)
夜は野菜と肉類、あとは豆や豆腐、押し麦やキヌアなんかのちょこっとした穀類、チーズなんかをいろいろ料理して、スープなんかと一緒に食べて終わりって感じになった。肉はよい肉を少しだけ、シンプルに焼くか野菜と煮て食べる。
飲みにいったら、いろいろ食べたりするけど、夕食をごはん付きで食べることはなくなった。
そんでこれが
まあ、ものすごく調子がよくって、作るのが本当にラクチンで
さらに贅肉も減って、体重がいい感じのところに安定した。
まあ、このあたりは食の指向の話だし、
なんじゃ、そんなの耐えられない! あり得ない〜って人もいっぱいいるだろうから
ほんと個人の好みでいいと思うんだけど
主食はごはんかパン(という炭水化物)
という思い込みがなくなったら、いろいろ自由にラクになったなあって思う。
ちなみに、主食を食べなくなった後、私が夕食に進んで食べているのは、カリフラワーとか大根とかかぶとかの野菜類で、あとで知ったんだけど、これらにも炭水化物が含まれているんだそうだ。
だるくならないし、眠くならないし、野菜や豆類はほんとにいいなあって思うんだけど、私はベジタリアンではぜんぜんなくって、肉も大好きで、単なる食いしん坊であるだけなので、変な食事ルールを押し付ける気持ちは毛頭ありません。
さて、これ以上は書き出すといろいろ面倒だし
まあ、このあたりで今日はもう寝ようかな、って思う。
あー、でもなんで急にこんなこと書きたくなったかっていうと
先週、5食続けてごはんを食べた(昼にカレーライス、夜にピラフ、翌日ごはん定食、みたいに立て続けでごはん5回)ら、週末、もう何年も経験したことのないひどい便秘になって、本当に辛かったから。
米って便秘の原因になるってこと、ググってはじめて知った。
いや、食べ方によるんだけど。
何もかもからだにいいことしかないもんだと思ってた@米>笑
私が食べてるのは雑穀米なので、白米オンリーってわけじゃないんだけど、それでも便秘、超辛かった。びっくりした。
半年かけてごはんやパンなどの炭水化物を食べる量が減ったら、からだもそれに順応しちゃって便秘しちゃうわけで。
食生活って、いろいろからだの状態も変えていくんだなーって
ほんとおもろいと思った。
ごはんの主食を基本にせねばあかんよー、って考えもあるんだろうけど
でも世界的にみたら、「主食」が存在する食文化って、少数派なんだよね。
主食が存在することで、献立の設計や食卓の風景が決まっていくわけで
主食の枠を外してみたら、結構自在に自由になって、意外とラクになった。
ごはん問題って、いろいろあっておもしろい。
おそらくここで
「米を主体とした日本食はすばらしく、日本の米文化や米農家には心から敬意を持っています」
というエクスキューズを書いておいたほうが絶対いいと思うんだけど、そういう部分も含めて、日本人と米って本当に奥深く面白いテーマだなあと思う。
まだまだいろいろ、試したり、考えたりしてみたいです。
写真ないなー。
文字だけでごめんなちゃい。
東京でいつも通りに暮らしていると、取り立てて書くこともないなあ、と思っていたんだけど、このところちょっと面白いことが起きたので、書いてみることにした。
しつこく、ごはんの話>笑
先日こちらにコメントをくださった方によると、Googleで「料理 面倒」と入力すると、2番目に私のブログが出て来るのだそうだ。あははは。
アメリカとかフランスに暮らしてみたら、なんだかごはん作りがとてつもなくラクチンで、日本であくせくしてたのは、ありゃいったい何だったんじゃろ? ってあたりから端を発している私の「ごはんづくり問題」については、ぜんぜん共感できねーよって人もいると思うんだけど、まあ、似たようなことを考えてくださっている方もいるってことなんだ、と思う(希望的観測)。
そんな私なんだけど、パリでの生活を2ヶ月ほど続けて、それから日本に戻ってきてはや半年が経過。
はやー。
その後、私の食生活には結構な変化がありました。
向こうにいた2ヶ月の間に、何よりも大きく変わったのは、次の3つでした。
これは、本当に劇的に変わった。
1、ごはんを食べなかった
〜もともとさほど固執もしていないので、食べたくなったりもしなかった
2、ごはん(主食)がないスタイルになったら、塩分が劇的に減った
〜ごはんとセットで成立するおかずの味付け、漬け物や味噌汁、佃煮などの登場が必要なくなったら、味覚がリセットされて、料理に使用する塩分が劇的に減った。それで気づいたんだけど、主食ご飯で構成すると、ごはんで塩分を緩和するので、どちらかというとしょっぱめの味付けのおかずが多かったんだなあと改めて。
こういう味覚になってからは、外食で定食とか食べらんなくなった。いろいろしょっぱすぎて。
味噌とかしょうゆの使用料もすごく減っちゃった。
3、いわゆる「うまみ調味料」の味を受け付けなくなった
〜ごはんや味噌汁、そばやラーメン&うどんの汁、日本で売ってる加工食品や総菜類を一切食べなくなったら、「うまみ調味料」が入っているものにすごく敏感になった。つまり、それだけ日本ではほとんどのもんに混入していたんだということがわかった。
帰国後は、粉末だしやコンソメはもちろんのこと、それまで便利に使ってた市販の「めんつゆ」は一切使えなくなった。だし成分のうまみに違和感あっておいしくない〜、って思うようになっちゃった。
ほんと、これは大きな食生活の変化でした。
白米&濃い目の塩分(しょうゆ、味噌の味付け含む)&うまみ調味料
これ、全部いらないなーって思ったら、食卓の風景すごく変わるわけですわー。
そして、もう一つの大きな変化が
「主食を柱として献立を考えなくなった」
ということ。
それまでは、今日のごはん何にしよー、って思ったら、まず決めるのは
ごはん? パン? 麺類?
ってところ。
それに合わせておかずを揃えるわけで、まあ、夕食はほとんどが「ごはん」を柱にするので、まずはごはんを炊いて、おかずを考えるという道筋を通るわけですが
それをごっそりはずしてしまうと
ごはんとセットになっていた
「一汁三菜」とか、「おかず&汁物&副菜」なんていう暗黙の決まり事みたいなもんが一気になくなって、食卓の「こうあるべき」という風景も、それまでの概念が吹っ飛んでしまったわけです。
いやああ、本当に面白い。
そこで気づいたのは
自分が割と若いときからごはん作りを通して踏襲していたのは
「食事とはこうあるべき」
という概念とともに
「食卓の風景は、こんな感じで成立する」
っていう、ある種の「視覚記憶」だったんだなあ、と。
ごはんと味噌汁を並べたら、メインのおかずをその向こう側において
そこに肉か魚が配置されていたら、付け合わせに野菜がないとどうも風景として落ち着かなくて、主婦としていけないことをしているような気になる。
付け合わせをつけたとしても、食器が3つだけではまだ落ち着かないから、横っちょに「副菜」の小さな皿か鉢を置く。
それでもなんだか成立しない気になり、漬け物を切ったり、佃煮や珍味なんかを出してみる。
おそらく、その「風景」の視覚記憶ってのは、親の代から受け継いだものが大きくて、さらには、料理本や雑誌や、旅館や料理屋の食事を見て培ってきたものなんだと思う。
まあ、それが「文化」というやつなんだから、とても大切なことなんだけど
どうやら
自分はそのあたりの「視覚記憶」で、自分のごはんづくりを複雑化したり、
必要以上に手間がかかるものにしてたんじゃないか、なんて思ったりもする。
そんなわけで、ここ半年間
私の食生活からは「主食」が消えた。
消えたというより、主食にこだわらなくなった。
それはやっぱりフランスで、「パンはなるべく食べない。健康に悪いから」って言う人たちにたくさん会ってびっくりした、って経験も大きいのかもしれない。
フランスではレストランに入ると、とにかく大量のパンがセットになって出て来るんだけど、精製された小麦粉は体に負担をかけるだけでなく、イーストフードなどの弊害もあるからパンの摂取量を減らして、野菜をたくさん取ったり、押し麦や豆などのシリアルを取り入れたり、そんな関心を持っている人が結構いる。
あんなにおいしいバゲットがあるのに、それを食べないなんて! と思ったけど、それは長い時間をかけて経験してきた、食への解釈なんだと思う。
そんな中で、「主食」を柱にしない料理の作り方、レシピというのは
日本の料理よりも、フランスで作られている家庭料理のほうが、バリエーションが大きくって
そういうバリエーションが増えたら、食卓の風景がすごく変わった。
今は、朝は野菜で作ったスープをちょこっと飲んで
昼には、ちゃんと炭水化物を取って
(ラーメンとかパスタとか。定食系や丼ものとかチャーハンとかカレーとか、そういう食べ物は昼にまとめてちゃんと食べる)
夜は野菜と肉類、あとは豆や豆腐、押し麦やキヌアなんかのちょこっとした穀類、チーズなんかをいろいろ料理して、スープなんかと一緒に食べて終わりって感じになった。肉はよい肉を少しだけ、シンプルに焼くか野菜と煮て食べる。
飲みにいったら、いろいろ食べたりするけど、夕食をごはん付きで食べることはなくなった。
そんでこれが
まあ、ものすごく調子がよくって、作るのが本当にラクチンで
さらに贅肉も減って、体重がいい感じのところに安定した。
まあ、このあたりは食の指向の話だし、
なんじゃ、そんなの耐えられない! あり得ない〜って人もいっぱいいるだろうから
ほんと個人の好みでいいと思うんだけど
主食はごはんかパン(という炭水化物)
という思い込みがなくなったら、いろいろ自由にラクになったなあって思う。
ちなみに、主食を食べなくなった後、私が夕食に進んで食べているのは、カリフラワーとか大根とかかぶとかの野菜類で、あとで知ったんだけど、これらにも炭水化物が含まれているんだそうだ。
だるくならないし、眠くならないし、野菜や豆類はほんとにいいなあって思うんだけど、私はベジタリアンではぜんぜんなくって、肉も大好きで、単なる食いしん坊であるだけなので、変な食事ルールを押し付ける気持ちは毛頭ありません。
さて、これ以上は書き出すといろいろ面倒だし
まあ、このあたりで今日はもう寝ようかな、って思う。
あー、でもなんで急にこんなこと書きたくなったかっていうと
先週、5食続けてごはんを食べた(昼にカレーライス、夜にピラフ、翌日ごはん定食、みたいに立て続けでごはん5回)ら、週末、もう何年も経験したことのないひどい便秘になって、本当に辛かったから。
米って便秘の原因になるってこと、ググってはじめて知った。
いや、食べ方によるんだけど。
何もかもからだにいいことしかないもんだと思ってた@米>笑
私が食べてるのは雑穀米なので、白米オンリーってわけじゃないんだけど、それでも便秘、超辛かった。びっくりした。
半年かけてごはんやパンなどの炭水化物を食べる量が減ったら、からだもそれに順応しちゃって便秘しちゃうわけで。
食生活って、いろいろからだの状態も変えていくんだなーって
ほんとおもろいと思った。
ごはんの主食を基本にせねばあかんよー、って考えもあるんだろうけど
でも世界的にみたら、「主食」が存在する食文化って、少数派なんだよね。
主食が存在することで、献立の設計や食卓の風景が決まっていくわけで
主食の枠を外してみたら、結構自在に自由になって、意外とラクになった。
ごはん問題って、いろいろあっておもしろい。
おそらくここで
「米を主体とした日本食はすばらしく、日本の米文化や米農家には心から敬意を持っています」
というエクスキューズを書いておいたほうが絶対いいと思うんだけど、そういう部分も含めて、日本人と米って本当に奥深く面白いテーマだなあと思う。
まだまだいろいろ、試したり、考えたりしてみたいです。
写真ないなー。
文字だけでごめんなちゃい。