今日はお昼から家族みんなで
サーティワンアイスクリームを食べにサティへ。
その後、それぞれが行きたい場所に散らばり、
本屋で集合ということになった。
程なくして夫から携帯で、
「ちょっと、ちょっと、本屋まで来て。」
行くと、夫が何やら外国人の青年と一緒にいる。
「ブラジルから来たんだって。
ボクシングか空手が習いたいって言うんだけど、
どこかないかな?」
何でも、夫がボクシングの雑誌を立ち読みしていたところに、
この青年が、
「ボクシング好きですか?どこか習うところがありますか?」
と、声をかけてきたのだと言う。
ボクシングと言えば・・・以前、知人に紹介されて
見学に行ったところがある。
じゃあ、今から一緒に連れてってあげる・・・とその青年に言うと、
まさかの展開にちょっと驚いていた。
この青年、名前はエリキ君という。
わずか一カ月前に島根にやってきた。
住んでいるのが簸川で、周りに何もないので、
松江まで電車でやってきたとこのこと。
かなり流暢な日本語を話すので、聞いてみたところ、
お父さんは日系ブラジル人、お母さんはブラジル人で、
小学校4年生まで日本にすんでいたのだと。
お父さんは、ブラジルではサッカーの神様ペレの
お抱え運転手をしていたこともあったのだそう。
高校を卒業し、国立大学の入学試験に合格したのだけど、
大学よりも日本に行ってみたいと、その後すぐに一人で来日。
数年間働いたらそのお金で国に帰って大学に入り、
物理を勉強して先生になりたいと言う。
就職先は某大手企業。住むところだけは決まったけれど、
まだ電話すら持っていない。
行きは家族4人で行ったサティ、
帰りはなんだかわけがわからない外国人が同乗し、
子どもたち「誰だ?この兄ちゃん?」といった様子。
駐車場を出ようとしたとき、K2の手に何やら見慣れぬ
ゲーム・カードが。
「ゲーム機の下に落ちてたから持ってきた・・・」
落ちているものを拾って帰ることが
どれだけ悪いことかと言って聞かせ、すぐにゲーム・コーナーに
戻しに行くように説教していたら、それを聞いていたエリキ君、
「面白いですね。考え方が違うんですね。
ブラジルでは、落としたら、落とした人が悪いから、
持って帰ってもいいって考えがありますよ。
僕のお父さんは日本人だからすごく厳しくて、
そんなことは許さなかったけど、お母さんはいつも、
いいじゃない、落ちてたんだから貰っておいたらって言ってました。」
それを聞いたK2、
「ほらね。ふん。」
と鼻息が荒くなったところに一発、エリキ君、
「でも、やっぱり落とした人のことを考えたら
持って帰るのはいけないことですよね。もしあなたが
落し物をして、それを誰かが持って行ってしまったら
悲しいでしょう?その人の気持ちになってごらん。」
10分前に初めて会った18歳のブラジル人のお兄ちゃんに、
流暢な日本語で諭され、妙に神妙になったK2。
すぐにゲーム・コーナーへ落し物を届けに。
ありがとう、エリキ君。
程なく、ボクシング・ジムに到着。
スリー・ロード・ボクシングジム今年の冬に、知人に紹介されて見学に行ったジム。
コーチの方たちがみんなやさしく丁寧で一時は
ノリノリで入会するつもりでいたけれど・・・
3日坊主の私に継続できるわけない、と今まだ思案中。
目の前に広がる広いジムにあるリングを見て、
目をキラキラと輝かせていたエリキ君。
最初の給料が出たら、もう一度見学に来てみるという。
受付で、見学者の名前・住所等を記入するように言われたエリキ君、
「これしかないんですけど」
外国人登録証を差しだした。
初めて見る、外国人登録証を興味津々で覗いてみると・・・
「何何、え~っと、誕生日が・・・えっ、えええぇぇぇ~っ?!」な、なんと、エリキ君と私、同じ誕生日。
この偶然に二人で顔を見合わせて、
「こんなことってあるんですねぇ~」
あと、10日もすれば、エリキ君は19歳。
私は・・・その倍以上だ。
初めて日本で迎える一人きりの誕生日。
だれかと一緒に過ごしていて欲しい。
これ、やっぱりセレンディピティなんだろうなぁ。
以前、このブログにも書いたけれど、
数年前にひょんなことから出会った
アメリカ人旅行客の女性、ビヴァリーなんて、
何と何と、信じられないことに
私がもう20年近くも前にアメリカで長年住んでいた、その同じ家に
今は彼女が住んでいたのだ。こんな偶然は一生のうちにあるかないか。
海を隔てた観光客に、偶然出会い、
会話の中で、住んでいる場所を尋ねたら、
私が以前住んでいた家だったなんて・・・。
ビヴァリーは今でも機会あるごとに、
この我々のミラクルな出会いについて人に
話して聞かせていて、皆一様に「あり得ない」と驚くという。
(過去記事の、(セレンディピティのこと)のカテゴリをご参照ください)。
昨年、たまたま近くの交番でトラブルで困っていたドイツ人旅行者、
彼も、話を聞いていくうちに、お互い英語講師という共通点があった。
彼ともまた、今もメールでやりとりをしている。
人は出会うべくして出会うんだと思う。
帰宅してから夫が息子たちに、
「お前たち、今日なんでブラジルの人を車に乗せて
あげたかわかるか?お父さんもお母さんも、外国で
いっぱいいろんな人の世話になったんだ。だから、
日本に来た人のことを助けてあげようと思うんだよ。」
私がアメリカ生活でお世話になったことは、
とても一言では言い尽くせない。
いろんな人の、いろんな助けがあったからこそ、
たった一人で乗り込んで行ったアメリカで
充実した年月を過ごすことができた。
あの頃お世話になった人たちには何一つ
恩返しをしていないことに気づく。
難民や政治亡命者が通う、無料の職業訓練校の英語クラスに
もぐりで入った1986年。
ランチタイムになっても、食べるものを準備していなかったので
一人ポツンと休憩室に立っていた私に、
その時初めて会ったフィリピン人のおばちゃんが
自分の持ってきたお弁当を半分、蓋に乗せて
私に黙って差し出してくれた。
私には、あの時の光景が強烈に脳裏に焼き付いている。
折に触れ、あのおばちゃんの飾らない、純真な
優しさを思い出し、胸がじんとする。
左がスタッフの曽田さん、右がエリキ君↑
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