第8回「ブルシット・ジョブ」との決別 大学をやめた学者が語る学びの作法
文化人類学者の磯野真穂さんは2年前、大学の常勤職から離れ、独立研究者となりました。始めてみると、「すぐには役に立たない」学びのニーズが予想以上に高く、驚いたと言います。最近では、企業の新商品や新事業の相談に乗ることもあるそうです。
大学を離れて見えた、成果主義の功罪とは。世界的に話題になった「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」についても聞きました。
――2年前、勤めていた大学を退職され、今は独立研究者として歩まれています。大学を離れた理由は?
その質問、本当によく聞かれます。
2018年の冬に、前職の大学から、翌年は任期を更新しないことを告げられました。それを受け、いくつかの大学教員の公募へ応募を始めました。
各大学が独自の履歴書と業績書を持っていて、同じ内容でもその書式に合わせ全てを書き直さないといけなかったり、担当したこともない講義のシラバスを作って15回講義の全てに予習と復習の内容を書かなければならなかったり。とにかく書類が膨大なんです。
短期的な成果求められる風潮 大学教員も疲弊
苦労して書類を作った結果を見て、コネクションで採用されたのではと感じる人事もありました。膨大な書類作成作業をやり続けることが苦痛になってきました。
書類作りに人生の時間をこれ以上使いたくないと思い、大学で採用してもらうことは諦め、違う道を探すことにしました。
――研究者にも、短期的な成果主義が強まっていると聞きます。
研究とは元来、面白くて、ワクワクするものだと思うのですが、面白さというのは、狙って生み出せるものではありません。
面白いことが生まれる前の過程には、寄り道を許す、組織や研究者自身の余裕が必要です。
でも、近視眼的な成果や実用性を求められると、それらの寄り道は「無駄」と評価されてしまいます。
その結果、ウケのよい研究テーマを選んで論文を書いたり、美しい報告書を短期間で作って体裁だけ整えたりして実績にしてしまうということがしばしば起こっているのだと思います。
やっている当人も、「私はこんなことのために研究者になったんじゃない」と思いながら、疲弊しているのではないでしょうか。
――(急逝した人類学者のデヴィッド・グレーバーが同名の著書を出し、世界的に話題になった)「ブルシット・ジョブ」(クソどうでもいい仕事)にも通じる話でしょうか。
はい。「ブルシット・ジョブ」がなぜあんなにうけたのかって言うと、大学教員がその内容にしっくりきすぎたからじゃないかと思うんですよ。
組織が大きくなると、それを管理したり評価したりするための書類が膨大に増え、元々の意味を失って形骸化したものが増えますよね。
――例えばどんな「ブルシット・ジョブ」がありましたか。
私が大学で見た驚きの「ブル…