「福田村事件」から99年 人権侵害・差別「問題は解決していない」

藤谷和広 斎藤茂洋
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 関東大震災直後、千葉県福田村(現野田市)で、香川県から来た薬売りの行商の9人が地元の自警団によって虐殺された福田村事件から99年となる6日、野田市で墓参会が営まれた。事件の背景には根強い差別意識があるとみられ、参加者は負の歴史と向き合うことの重要性を訴えた。

 この日、福田村事件追悼慰霊碑保存会のメンバーや市民ら約20人が参列し、慰霊碑に手を合わせた。同会代表の市川正廣さん(78)は、近年のヘイトスピーチヘイトクライムに言及し、「人権侵害、差別の問題は99年たっても解決していない」と指摘。負の歴史を直視し、「二度とこういうことが起きないようにしていきたい」と述べた。

 震災後、「朝鮮人が略奪や放火をした」などのデマが広がった。事件では、聞き慣れない方言を話す一行が朝鮮人と決めつけられたとみられ、自警団に猟銃や日本刀などで襲われた。行商団15人のうち、妊婦や幼児をふくむ9人が殺害された。

 事件は半世紀以上、歴史の闇に埋もれていた。市川さんは、行商団が被差別部落出身で、声を上げられなかったとみている。1980年代に調査が始まると、目の前で家族が殺された生存者の証言も得られた。2000年には千葉県内に真相解明と慰霊碑の建立をめざす市民グループが発足し、当時野田市の職員だった市川さんが事務局長に就いた。慰霊碑は事件から80年後の03年に建立され、遺族らとともに、加害側の地元住民も参列。碑にはおなかにいた胎児を含めた10人の戒名が刻まれた。

 事件については、映画監督の森達也さんが劇映画の制作を進めており、震災から100年となる来年の公開をめざしている。墓参会に参列したプロデューサーの小林三四郎さんは、「日常に潜んでいる差別意識が、非常時にぬっと顔を出すことがある。私たちは歴史から学んでいるのか、問いかけたい」と語った。

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 県内では、「福田村事件」以外にも、震災後の流言飛語が原因で命を奪われる人がいた。震災から4日後には、検見川町(現千葉市花見川区)で、秋田、三重、沖縄の各県民3人が自警団によって虐殺される事件が起きた。

 沖縄出身の島袋和幸さん(74)は、この事件の調査を長年続けてきた。20代で本土に渡った島袋さん。沖縄への差別は根強かった。震災後の朝鮮人虐殺について調べている中で、沖縄人も犠牲になっていたことを知り、大きなショックを受けた。「実際にあったことは曲げられない。(犠牲になった)あなたたちを忘れないという思いで活動してきた」と話す。

 島袋さんは沖縄に対する差別の構造化が、今の米軍基地の負担集中にもつながっていると考える。「差別は人を殺してしまう。内地の人が沖縄に寄り添うといっても、ひとごとに聞こえる。もっと当事者意識をもってほしい」と話す。

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 〈福田村事件〉 1923年9月6日、福田村(現野田市)の利根川河畔で、香川県から来た薬売りの行商の9人(妊婦のおなかにいた胎児を含めると10人)が、福田村と隣の田中村(現柏市)の自警団に虐殺された事件。自警団の8人が有罪となったが、恩赦で釈放された。86年に香川の元高校教諭らが生存者の証言を記録、2000年から両県の人権団体なども調査に取り組んだ。調査では、朝鮮人差別や行商への偏見、よそ者への排他意識などに群集心理も重なり、事件が起きたと分析されている。

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この記事を書いた人
藤谷和広
くらし報道部|厚生労働省担当
専門・関心分野
災害、民主主義