佐野史郎さんがひと晩だけ吐いた弱音 血液がんと「下手なセリフ」

有料記事がんとともに

聞き手・山内深紗子
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 俳優の佐野史郎さん(67)は、2021年春に「多発性骨髄腫」だと分かりました。がん闘病は「良い作品づくりと同じ」と語り、「人間だけが特別な生き物ではない」という考えがより腑(ふ)に落ちたと言います。

 約2年前に熊本映画祭から帰ってきた後、急に39度の熱が出ました。新型コロナの検査をしたのですが、陰性でした。総合病院を受診すると、白血球の数値が異常で大病を疑われました。

 健康には自信がありました。ただ、2019年に撮影中に腰椎(ようつい)を骨折して腰痛が消えていなかった。がんで亡くなった先輩たちが、「診断前に腰が痛かった」と話していたことが少し気になっていました。

 検査結果が出て、血液がんのひとつの「多発性骨髄腫」だと医師から告知されました。私の第一声は「どうしたらいいですかね?」でした。

 不安や落ち込みはありませんでした。これを話すと、大半の人には驚かれます。病に侵されたことは事実です。だから、あらがっても仕方ない。こう言うと強い人みたいに聞こえるかもしれませんが、「自分が苦しくなる受け止め方は避ける」という本能だったのでしょう。

折り合いをつける でも本質は貫く がん闘病でも変わらず

 もともとの性格が折り合いをつけ、波風立てず、争いを好まず、のれんに腕押しです。日本人らしいとも言えます。でも自分の好きなこと、大切な本質だと思うことは貫く。がんと向き合っても、それは変わりませんでした。

 そんな気質は、出雲の地の大家族で育ったからかもしれません。もともと父は勤務医、母は専業主婦、四つ下の弟の4人家族で東京の借家で暮らしていました。父の実家は幕末から続くまち医者で、父も家業を継ぐことになり、6歳から高校卒業まで松江市で過ごしました。

 祖父母も住み込みの看護師さんもいて、長男で医者を継ぐことを前提に、家父長制度の大家族の中で育ちました。だからみんなに嫌われないように、柳のように立ち振る舞ってきたのだと思います。

 そんな中、怪獣映画やゴジラ、江戸川乱歩(1894~1965)の少年探偵団シリーズや水木しげる(1922~2015)の漫画など好きなものには、熱中していました。そればかりは友人たちに合わせることなく、みんなが興味を示さないものでも、気にしなかった。

 15歳のときに「はっぴいえんど」という日本のロック黎明(れいめい)期を代表するバンドが出てきました。細野晴臣大瀧詠一、鈴木茂、松本隆の4人が生み出す音楽に夢中になりました。レコードは最初3千枚くらいしか売れていなかったし、周囲は吉田拓郎さんがいいと言っていて、まったく理解されませんでしたが。

 時代が変わっても普遍的な考え方や価値観が好きで、今もそれは変わりませんね。一度徹底的に自分のものとして咀嚼(そしゃく)されていて、誰でも理解しやすいようにオリジナリティーを持ちながら表現されているものです。

敗血症 諦めかけたあの夜

 実際に治療が始まりました。まず、損なわれていた腎機能を回復するために、ステロイドを大量に投与しました。免疫機能が低下し、敗血症になり、39度の高熱が3週間続きました。

 治療は、良い作品づくりと同…

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この記事を書いた人
山内深紗子
デジタル企画報道部|言論サイトRe:Ron
専門・関心分野
子どもの貧困・虐待・がん・レジリエンス