第1回失語症になった出口治明さん 1秒悩んで決めた「歩けなくてもいい」
A-stories「出口治明さん 言葉を取り戻す」
毎朝、車窓から別府湾と市街地、そして学生たちが行き交うキャンパスを眺める。
5年前に大分県別府市にある立命館アジア太平洋大学(APU)の学長に就任して以来、出口治明さん(74)にとっては見慣れた風景だ。
しかしこの1年で、変わったことがひとつだけある。自分が電動車いすに乗る要介護3の障害者になり、タクシーで通勤するようになったことだ。
車いすで学長執務室に到着すると、次から次へと、職員らがやってきては指示を仰ぐ。ときには学生が進路相談に訪れることもある。
「みんなのちからがあって、やりたいことができます。僕は、しあわせです」
◇
出口さんの体に異変が起きたのは2021年1月。母親の四十九日法要のため、福岡市内のホテルに宿泊した翌朝だった。
「なんだか、おかしい」。急な体調不良に襲われ、自分で救急車を呼んだ。そこから先の記憶はあまりない。
「お帰りなさい」
そう呼ばれて気がつくと、目の前に妻の顔があった。すでに夜で、福岡市内の病院の集中治療室にいた。
医師の診断は「左被殻(ひかく)出血」。脳の中央にある被殻と呼ばれる場所で血管がやぶれ、出血が広がっていた。以前から高血圧と診断され、薬をのんでいた。
年齢などを考え、手術をしない方針がとられたが、妻は、失語症や右半身まひといった重い後遺症が残る可能性が高いと説明された。
入院から1週間ほどすると、簡単なリハビリが始まった。出口さんはそのとき初めて、自分の体の変化に気づいた。
意味のある言葉「ほとんど話せない」
右半身が思うように動かない…
- 【視点】
世界1200都市を訪れ、1万冊を超える本を読破した「知の巨人」出口治明さん。その出口さんが失語症になるとは、神様もなんと意地悪な…と嘆きたくなりますが、出口さんは一貫して楽観的です。人は楽観的な方が健康であるという研究は多くありますが、出口
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