オールインの勝負師、鈴木大介 「6年間勉強ゼロ」から王座との再会

有料記事純情順位戦 ―将棋の棋士のものがたり―

北野新太

二刀流とは投打において輝くという意味だけではない。将棋の鈴木大介九段(49)は今年5月から麻雀(マージャン)のプロにもなり、9月から最高峰の「Mリーグ」にも参戦する。異能の棋士はどのような半生を歩んできたのか。9日、東京都渋谷区の将棋会館で第82期名人戦・B級2組順位戦の藤井猛九段(52)戦に臨む直前、話を聞いた。

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 窓の奥の暗闇に白い雪が舞い始めた。

 夜空を見上げた鈴木大介は自分が泣いていることに気が付いた。

 1999年11月26日、富山市で行われた棋界最高峰のタイトル戦、第12期竜王戦七番勝負第5局が終わった夜のことだった。

 竜王初防衛に王手をかけた29歳の藤井猛とノーガードの殴り合いのような勝負を戦った25歳の挑戦者は、腕力で圧倒されて盤上というリングに沈んだ。1勝4敗。最後は72手の短手数で散った。

 感想戦が終わり、自室に戻る。扱いに慣れない和服を畳み、収納袋に押し込んでいる時、なぜか涙があふれてきた。

 「子供が家で待っているのにオレ、何やってるのかな……力の半分も出せなくて負けて……何をやってるのかな……」

 激しい後悔に襲われた。タイトル初挑戦を決めてから、ずっと浮かれていた。棋士仲間を自宅に招いて朝まで騒いだ。事前に「全局振り飛車を指します」と予告した異例の番勝負だったが、研究家である藤井の準備は周到だった。

 「事前研究ゼロで、普通に戦って普通に勝つつもりでいました。調子に乗りやすくて、努力が足りなかったんです。小学生の頃から、勝って泣くことも負けて泣くこともかっこいいことじゃないと思ってきた。でも、あの時は……」

鈴木は、いつも何かにすべてをかけてきた。将棋連盟の理事時代は激務に総身を投げ出し、奥歯を抜いた。理事を退いた今、二刀流を選んだ。そしてずっと使っていなかったアドレスに、ある棋士から一通のメールが届いた。

 あの日以来、勝負に敗れて泣…

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この記事を書いた人
北野新太
文化部|囲碁将棋担当
専門・関心分野
囲碁将棋