雨の日に傘さすように…生存権のための社会保障 希薄な権利意識なぜ

有料記事ダイバーシティ・共生

社会福祉士・横山北斗=寄稿
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Re:Ron連載「知らないのは罪ですかー申請主義の壁ー」第2回

 8月31日に西武池袋本店でストライキが行われました。

 ストライキは、団体行動権(憲法第28条)として労働者に保障されている権利です。ストライキという言葉を聞いたり、それが権利であることを学んだことはあっても、日本では日常的にそれが行われたことを見聞きしたり、自分が経験したりしたことがあるという人は少ないのではないでしょうか(私もそうです)。社会保障制度についても同様のことが言えるかもしれません。

 連載第2回の今回は、“権利”に焦点をあて、社会保障制度が社会に整備されてきた歴史に少しだけ触れながら、制度が抱える矛盾について考えていきたいと思います。

 前回、私が社会福祉士として病院で勤務していた時に出会った8人の患者のエピソードを通して「社会保障制度はセーフティーネットたり得ているのか」という疑問を提起しました。

 患者の中には制度の利用に際し「高齢者でもなく、働いていない自分がお金を受け取ってよいのでしょうか」と小声でこぼす人もいました。要件を満たしていれば誰もが利用できるにもかかわらず、権利を行使することに迷いが生じるのはなぜなのでしょうか。

厚労省生活保護申請」の呼びかけに反響

 コロナ禍1年目の2020年12月。厚生労働省がホームページに以下の内容を掲載したというTwitter(現:X)への投稿がありました。

《【生活保護を申請したい方へ】

「生活保護の申請は国民の権利です。」

生活保護を必要とする可能性はどなたにもあるものですので、ためらわずにご相談ください。相談先は、お住まいの自治体の福祉事務所までご連絡をお願いします。》

 投稿の背景には、コロナ禍による経済活動の停滞などで困窮する人が増加したことがありました。この投稿はSNS上で肯定的な意見とともに取り上げられることが多かったと記憶しています。

 しかし、考えてみれば、現行の生活保護法が施行されたのは1950年です。70年以上運用されてきた法制度について、国が「生活保護の申請は国民の権利です」と呼びかけを行ったことが話題になるということは、裏を返せば、それほどまでに私たちの権利意識が希薄であるということかもしれません。権利意識の希薄さは、社会保障制度に対し、「お上からの施し」的な受け止めや、「自分ではなくもっと困っている人に使ってほしい」といった我慢を生じさせることにつながります。

困難の初期にリカバリーするために

 社会保障制度を名実ともにセーフティーネットにするためには、私たちが社会保障制度の利用が権利であると強く意識しなくとも、それを行使することが当たり前だと認識している状況に社会を変えていくことが必要です。制度を知っていても、その利用をためらうことで、生活状況が悪化してしまうかもしれないからです。病気やけがで働けず給料を得られないときは健康保険の傷病手当金を使う。仕事を辞めて次の仕事を探すあいだに雇用保険失業手当を利用する。日々の生活費や家賃の支払いに困ったら、住居確保給付金や生活保護を申請する――。

 急な雨の日に手元にある傘を自然とさすように、自分がもつ権利で自分を守ることが当たり前になれば、困難の初期にサポートを得て、早期のリカバリーが可能になるでしょう。

 わたしたちの生存権(憲法25条「健康で文化的な最低限度の生活」)を実現するために社会保障制度は整備されてきました。ですが、前回も指摘した通り、社会保障制度の利用は自力で制度の情報を収集・選択し、物理的・能力的に申請手続きが可能であることを前提としているため、それを自力で行うことが難しい人たちが排除され、より困った状況に陥ってしまったり、生活・生命の危機に瀕(ひん)してしまったりする可能性があります。コロナ禍において経済的に困窮する人が増加する中であっても、現状が好転したようには思えません。

生存権の保障、難しくする自助重視・デジタル化の遅れ

 2020年9月、菅義偉前総理が記者会見で「私が目指す社会像、それは、自助・共助・公助、そして絆であります。まずは自分でやってみる。そして家族、地域でお互いに助け合う。その上で政府がセーフティーネットでお守りをする」と述べ、その自助重視の姿勢に批判が向けられました。社会保障制度(公助)へのアクセスが自助頼みであり、それをサポートする施策も乏しいという現状を踏まえると、「政府が公助というセーフティーネットで守る」という言葉には疑問を呈さざるを得ませんでした。

 2021年9月には「誰一人取り残されない、人に優しいデジタル化を。」をミッションにデジタル庁が発足しましたが、制度利用におけるデジタル活用は目に見えるほどは進んでいません(個人的にはデジタル庁に期待をしています)。せめて、市民の情報をもっている自治体から「あなたはこの制度の利用条件を満たしています。利用できますから申請をしてください」と手紙やメールで知らせがくれば、知らないために利用できない人を今より減らすことができるでしょう。全国民1人に10万円を配った2020年の「特別定額給付金」では、案内とともに世帯主に申請書が郵送されたり、一部自治体においてはオンライン申請での対応がなされたりしましたが、他の制度でオンライン申請ができるものは限られ、自治体間でも差があります。

 このように、申請プロセスでの障壁や、制度の利用が権利であるという意識の希薄さ、国や自治体が行う施策の乏しさが、国民の生存権を保障するという社会保障制度の目的を果たすことを難しくさせています。

 このような矛盾は一体どのようにして生じたのでしょうか。

後半では、福祉制度の構造改革により、私たちが「申請する権利を得た」経緯を解説。進歩の一方、「選択の自由というと聞こえが良いですが…」と、新たな障壁についての指摘が続きます。

 歴史をひもといてみましょう…

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    本田由紀
    (東京大学大学院教育学研究科教授)
    2023年9月20日11時30分 投稿
    【視点】

    必読の記事。「権利としての社会保障」という考え方が日本で浸透していないのは、戦後の大半の時期に政権の座についてきた自民党が、「お上に迷惑をかけるな」「国民から”吸い上げた”税金を国民がねだるな」という姿勢を、明に暗に発してきたことによる。片

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Re:Ron

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対話を通じて「論」を深め合う。論考やインタビューなど様々な言葉を通して世界を広げる。そんな場をRe:Ronはめざします。[もっと見る]