「奇跡の生還」と言われるたび、宮城県大崎市の安倍淳さん(64)は複雑な心境になる。
建物ごと津波に流され、約50分間の恐怖を生き延びた。だが、「大きな過ちを犯していた」との後悔が強いからだ。
東日本大震災が起きたあの日は、経営する同県東松島市内の潜水土木調査会社の事務所1階にいた。野蒜(のびる)海岸まで歩いてすぐ。震度6強の長く激しい揺れに襲われ、一緒にいた妻の志摩子さん(62)は机の下に隠れた。
揺れの後、海辺の倉庫まで船やタンクの点検に行った。志摩子さんは自宅に戻り、断水に備えてバケツや鍋に水をためた。
戻ると、ラジオは大津波警報を伝えていた。志摩子さんは「逃げなくていいの?」と不安げだった。
「まさか津波は来ないだろう」と思いながら、知人と川の様子を見に行った。「津波が来るときは川の底が見えるらしいぞ」。そんな話をして向かった。
揺れ始めてから1時間近く経っていた。土手から見ると、川の水は引いていない。「大丈夫そうだ」と安堵(あんど)した。
事務所前まで戻って来た時、大きな音が響いた。
バキバキバキ――。
急に現れた津波が海岸近くの松林をなぎ倒し、川から黒い水が迫ってくるのが見えた。
「死んでも見つけてもらえる」と妻に着せた救命用具
事務所2階に駆け上がったと…
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