地図は一枚きりではない 「現在の歴史」をこそ生きる 今福龍太
寄稿・今福龍太さん 文化人類学者
私は一枚の古地図を見ている。「明治十五年測量図 相模国高座郡辻堂村」(1882年測量。現在の神奈川県藤沢市辻堂一帯)。南に相模灘の海。北へ広がる海岸砂丘の縁に幾本かの生活路が不規則に交差し、四つ辻のあたりにわずかな家々が。あとは畑地と松の疎林が点在するだけ。源頼朝の勧請により建てられたお堂の辻から生まれたとされるこの半農半漁の小村が、住宅や団地が密集する首都圏のベッドタウンとなって久しいことをこの地図から想像することはむずかしい。ここが、私が幼少から青年期を過ごし、成人してからメキシコやブラジルの都市や荒野をさまよった後、いままた日々を暮らす土地である。
首都圏郊外に流れた140年ほどの歳月。明治維新にはじまる社会制度や生活環境の急速な近代化、軍国主義下の統制と戦争、その後の「高度成長」。こうした日本の近現代の大きな歴史のなかで変化し、書き換えられていった地図がこの古地図の上に何層も存在するのであろう。ほとんど空白にみえる状態から、住宅やビルや商業施設や道路がひしめき合う現在まで。一つの土地に流れた「歴史」を表層的な景観の変容から考えれば、それはたしかに激烈な宅地化と都市化の奔流だったことになる。
だが、近代化と戦後の高度成長という通時的な歴史の語りからだけでは見えない何かを、ある土地に暮らすという経験は深いところで教えてくれる。出来事や人間のそのときどきの感情を、過去から現在、未来へとむすぶ「因果関係」の帰結として見るのではない。それはむしろ、土地に重層的に保持されている記憶を自己の内部にも呼び出しながら、「いま」という時を人間的経験の複雑な織物として感知するような生活感覚である。私はこれを、過去を語る歴史のあり方では捉えられない歴史意識として、「現在の歴史」と呼んでみたい。
私の幼少期のはじまりの記憶。それはトタン屋根の軒低い家々のまわりに点々と存在した松林と、海へつづく広大な砂丘のゆるやかな起伏である。スイカ畑だった砂地の土地に建てられたわが家から海にむかって一直線に歩けば、建物にも舗装道路にもさえぎられることなく、砂丘を越えて子供の足でもものの15分ほどで砂浜に降り立つことができた。早朝の地引き網漁で捨てられたクラゲやウミヘビがあちこちに転がっている浜は、子供にとっては天国だった。雑木林にはチョウやクワガタがすみ、沼にはギンヤンマがキラキラと飛翔(ひしょう)していた。小さな社の縁の下では犬が子供を産んでおり、私や友達は一緒になって毎日食べ物を持っていった。個人のペットではなく、近隣全体で犬を大切に世話していたのである。
けれど小学校に入ってまもない1960年代のはじめごろから、そうした景観は急速に消えていった。砂丘は切り崩されて住宅団地が建ち、雑木林は道路や宅地に変わり、沼も埋め立てられ、神社の犬もいなくなる。この時期の私の記憶は、昨日まで豊かな遊びと学びの場だった自由空間が突然消えているという、驚きと深い失意の連続としてある。あの古い地図の空白とつながっていたかもしれない自由の空閑地は、成長をうたうブルドーザーによって物理的に消滅させられていったのである。だがこうした語り方は、居住空間の表層的な変容を嘆く後ろ向きのノスタルジーに聞こえなくもない。
けれどさらにさかのぼって…
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- 【視点】
心の襞に染み込むようなテクストである。振り返れば、私もまた「空間化された時間」を生かされてしまったのだなと思える。 「現在の歴史」を「いま」に呼び出すという作業は、私という人間がこれまで生きてきたそのプロセスを語り、書くことなのだと今福龍
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