谷川俊太郎さんが見つめた「死の先にあるもの」 佐々木幹郎さん寄稿
晩年の谷川俊太郎さんは「自分の死を待ち望む作品」を書いていた、と詩人の佐々木幹郎さんはいう。それはどうしてだったのか。追悼文を寄せてもらった。
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谷川俊太郎さんが亡くなった。享年九十二歳。ああ、ついにそういう日が来た、という思いが強い。十年以上前から谷川さんは自分の死を待ち望む作品を書くことが多くなった。自分の死を、というよりはその先にあるものを楽しみながら想像する。それはもちろん、わからないものなのだけれど、そのときから何かが始まる、という確信に満ちたものがあって、その思いがけなさを見つけることが近年の谷川さんの詩を書く原動力になっていたように思う。
朝日新聞文化面に毎月一回掲載されてきた「どこからか言葉が」と題した谷川さんの詩の欄は、谷川さんが十一月十三日に亡くなった後、十七日に「感謝」と題した詩で締めくくられた。いつ書かれたものかはわからないが、おそらく意識が遠のいていた時期に側近の方が手配したものだろう。谷川さんは詩を書くのが早く、晩年にはたくさんの未発表の詩が溜(た)まっていたらしい。まだ元気な頃、発表場所がないんだよ、と言われてわたしは驚いたことがある。
「感謝」という詩は「目が覚める/庭の紅葉が見える/昨日を思い出す/まだ生きてるんだ」と始まり、「どこも痛くない/痒(かゆ)くもないのに感謝/いったい誰に?//神に?/世界に? 宇宙に?/分からないが/感謝の念だけは残る」と終わる。もし谷川さんが生きていたら、そういう死の直後の自分の詩の登場の仕方を、おもいきり揶揄(からか)ったかもしれない。
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