原発事故の前と後 続く時間と「断ち切られた」という刻印 安東量子

有料記事福島季評

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福島季評・安東量子さん

 福島県浜通りの交通の幹線といえば、南北に走る国道6号、通称「ロッコク」だ。常磐道が開通する前は、人の移動のみならず物流も支える大動脈だった。ロッコクほどメジャーではないが、もう一本、内陸側を並走する、通称「山麓(さんろく)線」と呼ばれるルートもある。ロッコクがほとんど平坦(へいたん)でカーブも少ないのに対して、山麓線はなだらかな起伏にゆるやかなカーブが適度に繰り返され、集落、田園、森、牧草地、畑、と風景が次々と入れ替わる。交通量が少なく信号もほとんどないため、ドライブ好きにももってこいだ。2011年の原発の事故のあと、このふたつのルートはともに一部立ち入り禁止となった。全線開放は、国道6号は14年、山麓線は19年まで待たなくてはならなかった。

 山麓線は、事故が起きる前は愛用していた。天気のよい日の沿道の景色は、とりわけお気に入りだった。これぞ日本の「田園風景」とも呼ぶべき、人の暮らしと四季折々の自然の移ろいが一体となったのどかさを堪能しながら、気分にあわせた音楽とともに車を走らせる爽快感は格別だった。

 事故後の立ち入りが許されなかった8年半を経て、景色は大きく変わった。よく手入れされていた田畑や牧草地は、雑草が生い茂る野原となったり、ソーラーパネルが一面敷き詰められたりした。小さな集落を形作っていた家々は、長い放置によって多くは朽ちかけ、避難指示解除と相前後して一軒、二軒と取り壊されていった。残されたのは、コンクリートの基礎と敷地境界を示す塀ばかりで、あとには、のっぺりとした更地だけが広がった。集落がなくなってみると、変化に富むように見えた景色は、どこまでも同じ、代わり映えのない田舎の景色となり、どこを走っているのかわからなくなることもしばしばになった。

 それでも、天気のよい晴れた…

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