第5回改憲や再軍備が話題になると 原武史氏が読み解く「象徴天皇の実像」

有料記事側近が記した「昭和」

編集委員・北野隆一

 戦前や戦中、終戦直後に昭和天皇の側近を務めた人物の日記やメモをひもとく企画。連載第5回は、日本国憲法上の象徴天皇制や戦力不保持の規定をめぐり、憲法施行直後に天皇が語っていた発言について考えます。

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 明治学院大名誉教授の原武史(62)は10月、「象徴天皇の実像」を出版した。初代宮内庁長官の田島道治(たじまみちじ)が天皇と交わした会話を記した「昭和天皇拝謁(はいえつ)記」を読み解いた。原が注目するのは、天皇が政治や憲法などに対する見方を率直に語っていることだ。

 1950年9月4日、天皇は「私は憲法上の象徴として、道義上の模範たるよう修養を積んでいるつもりだ」と発言。51年5月16日には「私は象徴として自分個人のいやな事は進んでやるように心がけてる。また好きなやりたい事は一応やめるように心がけてる」と述べた。原は「象徴を儒教的な『天子』と同一視している」と分析する。

 「論語」など中国の古典に詳しい田島は同年9月3日、「ご自分のいやな事きらいな事をむしろ進んで遊ばす陛下のご修養は、やはり杉浦重剛(じゅうごう)の倫理の教えによりますこと大きいのでございましょうか」と尋ねた。学習院初等科を卒業した天皇(当時は皇太子)のため開設された東宮御学問所で、杉浦は帝王学にあたる「倫理」を教えた。

 田島の問いに対し、天皇は杉浦について「非常に視野の広い、包容的な考えは私にも影響があったかと思う」と振り返っている。

 51年2月15日、改憲や再軍備が話題になった際、軍の「中心の人」はどうなりますかと田島が尋ねると「それは元首(げんしゅ)象徴だろうね」と答えた。だが大日本帝国憲法下で天皇が軍の「大元帥(だいげんすい)」だった時代と違い、天皇は自衛隊の最高司令官ではない。47年施行の日本国憲法に、国家元首についての規定はない。

 原は「天皇は大元帥と元首と…

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北野隆一
編集委員
専門・関心分野
北朝鮮拉致問題、人権・差別、ハンセン病、水俣病、皇室、現代史
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