Re:Ron連載「松本紹圭の抜苦与楽」第8回
僧侶の仕事というのは、最もAIから遠いところにあるものと思われるかもしれません。しかし、最近の私の仕事を振り返ってみると、AIと遠いどころか、ものすごく近いところにあります。むしろ、世に無数にある仕事の中でも、AIのフロンティアに最も近いところにある仕事の一つであるように思います。
もちろんそれは、「僧侶の仕事」の定義にもよります。それを、お経を読んで儀式を執行することと定義するなら、ほとんどAIとは関係ないでしょう。しかし、僧侶という存在を、仏教という東洋哲学の一つの大きな体系に通じた哲学者であると捉えるなら、どうでしょう。
考えることを考える
この夏来日し、私も直接対談の機会を得た、気鋭の現代哲学者マルクス・ガブリエル氏は、対話の中で哲学を「Thinking of Thinking」、つまり「考えることを考える」営みであると語りました。その観点からすると、AI時代を生き抜くリーダーにとって、哲学がとても重要になってきます。
なぜか。
これまでの人間社会では、主として考えることにたけている人がリーダーとなり、その能力を発揮して複雑なコンテクストの中で優れた意思決定をすることが重要でした。しかし、AI時代には、AI自身が社会の複雑なコンテクストを読み解くことができるようになると、リーダーの代わりにAIが意思決定を行うこともある程度可能になります。
そうなると、これからのリーダーには、「何を基準に、どのような原則に従って、意思決定するのか」を言語化する力が必要となります。それはすなわち、深い自己理解であり、自分自身が「どのように考えているのか」を考えることです。AIの登場によって、人間に「考えることを考える」哲学の力が求められるようになったのは、とても興味深いことです。
人類はAIを発明したことによって、「新しい鏡」を持ったようにも思えます。古来、鏡は我が身のありようを映すものの象徴です。大規模言語モデルを代表とするAIは、インプットされたデータを学習して性能を高めます。私たち人類が、どのような言葉を使い、どのような理屈でものを考え、どのような基準で意思決定をするのか、多様なデータから総合的に学習していきます。その様子はまるで、人類社会の鏡のようです。つまり、AIの倫理は、人類の倫理を反映していると言えます。
「AIフォビア」という反応
昨今、「AIの倫理」は色々なところで議論されていますが、私が見る限り、文化圏によってそのトーンが異なるようです。