長年続いた「少数派」支配が終わった シリアの統治と大量難民の行方
中東シリアで長く続いた独裁政権が崩壊しました。歴史上、どう位置づけられるのでしょうか。今後、平和的な統治は実現できるのでしょうか。東京外国語大学の黒木英充教授(中東地域研究)に聞きました。
急速な展開には驚いた。アサド政権を支えていたロシアや(レバノンのイスラム教シーア派組織)ヒズボラがウクライナ戦争やガザをめぐる情勢で余裕がなくなり弱体化した上、アサド政権も、10年以上続く経済制裁と内戦で軍を支える体力が弱まっていたのだろう。
いくつもの意味で大きな節目と言える。一つは、フランスによる植民地時代に起源のある、少数派による統治の終焉(しゅうえん)だ。
第1次大戦後にシリアを支配したフランスは、軍や警察などに意図的にアラウィ派など宗教的少数派を取り込み、多数派のスンニ派を抑え込む統治をした。こうした少数派は独立後も多く残り、数百年にわたり権力を握ってきた都市の有力者を駆逐した。そうした中で台頭したのが、今回亡命したバシャール・アサド氏の父、ハフェズ・アサド氏だった。
また、2000年ごろに中東に存在した「イスラエル包囲網」が、20年ほどをかけて崩壊したとの見方もできる。
シリアは00年ごろ、イスラエル以外の中東各国と非常に良い関係を構築していた。「9・11」事件後に起きたイラク戦争をきっかけに変わり始めたが、ついに当時のイスラエルや、イスラエルを支える米国が望んでいた形になったとも言えるだろう。
今後の統治、社会の安定、難民の行方
今後の統治には非常に大きな…
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