兵士は塹壕を出て交流した 110年前に起きた「クリスマス休戦」

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ブリュッセル=森岡みづほ
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 110年前のクリスマス、戦争の最中にある休戦が成立した。その後、歌や映画の題材にもなり、「クリスマス休戦」と呼ばれた。どのようなものだったのだろうか。

 平たくなだらかな土地が続くベルギー西部は、第1次世界大戦の「西部戦線」の一部だった。

 同国西部イーペルにある「イン・フランダース・フィールド博物館」によると、1914年、ドイツ軍はベルギーの大部分を占領し、フランスへの侵攻を開始した。ベルギーとフランスは英国の軍事支援に頼ったが、戦況は数カ月後には膠着(こうちゃく)状態となり、両軍はベルギーの海岸からスイスとの国境まで続く防衛のための塹壕(ざんごう)をつくった。博物館によると、1914~18年の膠着した塹壕戦で、計数百万人の兵士が命を落としたとされる。

 今年11月11日、イーペルで行われた第1次大戦の追悼式典を訪れると、様々な国の人が参列していた。

 英国から来たロジャー・プリチャードさん(78)は、祖父のアルバートさんが西部戦線で戦死した。「祖父は酒が好きで、金曜の夜にはパブで酔っ払っていたと聞く。兵士の多くは祖父のようにごく普通の人間だった」。プリチャードさんは、英国には第1次世界大戦で祖先を亡くした人がたくさんいると言った。

 そんな戦場で、大戦初年の1914年のクリスマスに「休戦」があった。英国兵とドイツ兵は塹壕(ざんごう)から出てプレゼントを交換し、サッカーまでしたといわれる。「クリスマス休戦」は、映画「戦場のアリア」(2005年)など数々の映画や楽曲の題材にもなった。

 「休戦は実話です」

 休戦がどのように起きたのか…

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この記事を書いた人
森岡みづほ
ヨーロッパ総局|北欧・NATO・ICC・ICJ・国連担当
専門・関心分野
人の暮らし、歴史、防衛