「私なんか」と言っちゃダメ、愛に生きた寂聴さんの教えとは

有料記事寂聴 愛された日々

聞き手・岡田匠
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④瀬尾まなほさんに聞く

 瀬戸内寂聴さんが京都・嵯峨野の寂庵(じゃくあん)で開いていた法話で、好きな漢字一字を参加者に聞かれたことがある。寂聴さんの答えは「愛」だった。愛に生きた寂聴さんには、愛の名言も多い。秘書の瀬尾まなほさん(34)に寂聴さんの恋愛観を聞いた。

連載「寂聴 残された日々」はこちらから

寂聴さんが亡くなる直前まで朝日新聞に連載していたエッセー「寂聴 残された日々」。単行本に未収録の分も読めます。

 ――寂聴さんは普段、恋愛について、どんなことを語っていましたか。

 頼りがいのあるシャキッとした人より、ダメな人が好きでした。自分がいなくても生きていけるような人には興味がなくて、自分が面倒を見ないと生きられないような人ですよね。そういう男性に尽くすことが好きだったんです。

 恋愛に限ったことではありません。世の中から批判され、疎外された人たちがいると、放っておけないんです。みんなが敵だと言っても自分だけは味方になってあげたい、そういうやさしさがありました。仏さまの慈悲のような愛ですよね。僧侶としてという思いがあったかもしれませんが、頭で考えるというより、感覚としてやっていました。

 ――寂聴さんには「恋は雷に打たれるようなもの」という名言があります。

 みなさんが知っていることですが、先生は何度も不倫をしています。「好きになるのは理屈じゃないから、仕方がないのよ」と言っていました。でも、ふつうは不倫をしておいて「好きになっちゃったから仕方がないのよ」では、すまされませんよね。私なら、不倫相手の妻や子どものことを考えてしまいます。

 ただ、先生の不倫は違います。「不倫をするなら、それなりの覚悟を持ってしなさい」と言っていました。不倫相手に「家族と別れて」と迫るのはおかしい、と。だから、先生は相手の家庭を壊すようなことはしていません。自分の立場をちゃんとわきまえていたのだと思います。

 ――「生きることは愛すること 愛することは許すこと」という名言もあります。

 許すことって、まだ私には、すんなり入ってきません。「盗みをしても、人を殺したとしても、すべてを許せるのが愛よ」と先生は話していましたが、今の私には、そこまで到達できていません。自分の嫌なことをされたら許せませんよね。だけど、愛することは、その人のすべてを許して受け入れること。渇愛ではなく、慈悲ですよね。

 ――瀬尾さんにとって、印象深い言葉は何ですか。

記事の後半では、瀬尾さんの背中を押してくれた寂聴さんの言葉が語られます。

 寂庵に入ったころ、「私なん…

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