馬場君江さんに聞く④
瀬戸内寂聴さんのもとで30年間、堂守(どうもり)をしてきたスタッフの馬場(ばんば)君江さん(75)は寂聴さんと2人で、よく話した。小説家になりたいと家を飛び出したときのこと、51歳で突然出家したときのこと。馬場さんにとって寂聴さんは「母」のような存在だった。
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寂聴さんとゆかりのある方々へのインタビュー連載です。随時更新しています。
――寂聴さんと話すなかで、思い出深いことはどんなことですか。
寂庵のスタッフは、仕事が終われば家に帰るので、先生は夜、寂庵で1人でした。96歳のとき、夜中にトイレに行ったときにこけて、顔を打ったんです。目のあたりに、すごいあざができて、かわいそうでした。危ないので、それからはスタッフが交代で泊まりました。
私が泊まったとき、のどが渇いたからと先生が夜中に起きてきました。「お茶でも飲みます?」と聞いたら「ビールがいいわ」と。ビールを飲みほしてから、2時間も3時間も思い出話を聞きました。先生は昔のことをよく覚えているんです。やっぱり、家を飛び出したときの話が印象に残っています。
――1948年、小説家になると言って、夫と幼い娘を残して家を出ました。そのときのことですね。
記事の後半では、小説家を目指して寂聴さんが家を出たエピソードが紹介されます。馬場さんが見た寂聴さんの最期の様子も語られます。
2月の寒いときだったようで…
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