寂聴さんは「年上の素敵なガールフレンド」 お墓は細川さんの五輪塔

有料記事寂聴 愛された日々

岡田匠
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細川護熙さんに聞く②

 京都・嵯峨野の寂庵(じゃくあん)の庭には、元首相の細川護熙(もりひろ)さん(84)が作った五輪塔がある。2021年11月9日に99歳で亡くなった瀬戸内寂聴さんの「寂庵のお墓」だ。細川さんにとって、寂聴さんはどんな存在だったのか。

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寂聴さんとゆかりのある方々へのインタビュー連載です。随時更新しています。

 ――寂聴さんが「寂庵のお墓」と言っていた五輪塔について教えてください。

 私は陶芸をやりますし、水墨画も描きます。五輪塔もいくつか作っています。東京や京都で毎年、個展を開き、そのたびに寂聴さんに図録をお送りしていました。その図録の中の信楽の五輪塔を気に入って下さったようで、5、6年前でしょうか、寂庵にうかがったときに寂聴さんが「あの五輪塔を寂庵のお墓にしたい」と言われました。

 寂聴さんは「お墓は岩手の天台寺、京都の寂庵、それに出身地の徳島」と話しておられました。私の作った五輪塔を寂庵の庭のどこに置くか、横尾忠則さんが決めてくださったと、お礼の手紙を頂きました。

 ――五輪塔のほかに寂聴さんが好きだった細川さんの作品はありますか。

 「狂人走不狂人走」と書いた掛け軸も購入していただきました。「きょうじん はしれば ふきょうじん はしる」と読みます。世の中は、一人の狂的ともいえる熱情を持った人間が走り出すと、世界もそれによって動かされていく。それには、もちろん、良いケースも悪いケースもあるが、と私は勝手にそう解釈して楽しんでいます。これも、寂聴さんが図録を見て、気に入って下さったものです。

寂聴さんが亡くなる1年前、細川さんが寂庵を訪ねたときのことが記事の後半で語られます。玄関まで走ってきた寂聴さんはつまづいて、おでこにけがをしたそうです。

 寂聴さんは絵を描き、土仏を…

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