第4回長さん、志村、仲本へ 高木ブー90歳、流れにまかせ生きる
《♪ド、ド、ドリフの大爆笑~。昭和、平成を彩ったもう一つの看板番組がある。4千本以上のコントを世に出した》
「ドリフ大爆笑」(1977~)だよね。これも長く続いて。
サウナのコントは、今も人気だよ。ヤクザが次々に入ってきて、後からくるやつほど入れ墨が派手に偉そうに。周りがびびる中、最後は僕が登場。お腹(なか)に「南無妙法蓮華経」とか、耳なし芳一みたいな全身墨だらけでオトす。
《ほぼサイレントのコントで、海外ウケも。体を使ったドタバタナンセンスの笑いを、いかりや長介さんは「体戯」と呼んだ》
僕ら、しゃべるのはあまり得意じゃない。「全員集合」をやってたころから、「コント55号」や「ひょうきん族」と比べられたけど、違うんだよね。
アドリブじゃなくて、何時間も稽古ばかり。体を張るんで、ケガしたら肌色のテープを貼って、その上からメイクして。
タレントの高木ブーさんが半生を振り返る連載「人生グー&ブーティフル」の全4回の最終回です。
そのうち、カトケンの2人のコントが多くなってね。長さんと仲本と3人で悩んだんだ。何かやんなきゃって。
それで「雷様」が生まれた。ぼやき漫才みたいなものです。長さんは強面(こわもて)なのにお笑いやってんのが面白いし、僕は本当に思ってることを話した。「給料上げてくれよぉ」とか。愚痴だよね。唯一、僕がしゃべれる場だったから。
《きれいより泥臭く。落語家のように師匠を持たず、養成所上がりでもない寄る辺なきコメディアンにとって、手本は自分で作るしかなかった》
僕の生き様は、歌にもなってる。大槻ケンヂ君のバンドの「高木ブー伝説」。(「♪無力な俺はまるでまるで高木ブー」という歌詞で)発売はダメだって流れかけたけど、僕は「いいよ」ってOKした。「♪俺は高木ブーだ」って、名前をこんなに呼ばれることってないから。
僕は少しずつ休めるようになっていく。50代を過ぎて、平成に入ったころからかな。志村の「バカ殿様」の時代になっていった。
別れと再会、ステージの真ん中に
《華麗なる芸能界で、生涯一人の妻を愛し続ける。始まりは「第三の女」だった》
妻の喜代子さんとは、ダンスパーティーで知り合った。まだドリフに入る前ね。デートはいつも彼女の実家で。寿司(すし)をごちそうしてくれるの。
当時、他にもガールフレンドがいた。プラトニックラブだけど。火曜か水曜は百貨店の店員さん、他の日は喫茶店の彼女と。みんなきれいだったな。
愛すべき人たちとの出会いと別れ。日本で最も有名な一人の芸能人としてステージの真ん中に立つまで、いろいろありました。最終回では、もう一つの名前と本名への思いを語ります。
喜代子さんと会うのは土日が…