第18回私のワンピースに母がかけた「魔法」 色あせない思い、時を超えて

想いをつづって

大蔦幸
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 いとこの結婚式を11月に控え、東京に住んでいた今川亜木さん(当時27)は、晴れの日に着る洋服を探して、デパート巡りをしていた。

 平成が始まった1989年の秋。人も街も空前の好景気に沸いていた。

 新宿の伊勢丹。何店舗か見て回り、その店に入った。大きな真珠で囲まれた襟が目を引く、黒っぽい紺色の細身のワンピースが目に入った。とっても素敵。

 どのくらいするかな、さっと、値札を確認した。

 お? 一瞬、固まった。

 桁が一つ違うのじゃないかしら。

 250000円。

 にじゅうごまんえん。

 いかん、これは、高すぎる。

 そそくさと店を出ようとしたそのとき、女性店員が声をかけてくれた。

あまりにピッタリ

 「着てみるだけ、着てみていいですよ」

 その言葉に背中を押され、着てみることにした。

 袖を通して、思った。あまりにピッタリ。 こんなことを言ったら、あれだけど。なんだか、自分のためにある服みたい。

 これ、いいなあ。でも、高い。

 そうだ、お母さん。服を作るのが上手な母なら、こんなデザインの洋服を作ってくれるかもしれない。

 スイッチが入った。できるだけ、詳細に覚えていこう。

 手や指をそっと使って、身丈、ウエストの寸法などをできるだけ詳しく分析した。生地の光沢感を、襟のビーズの大きさを、しっかり頭にたたき込んだ。

 そして、記憶が薄れないうちに、はがきにしたためた。

 《25万とは超高価》

 《着てみたらウエストもたけもかたもまるでおあつらえでピッタリでお店の人も驚いていました。》

 表裏の洋服のデザインを描き、全体のシルエット、生地感、細かいギャザーに至るまでしっかり記した。

 《布はサージのようなシャリの感ある》

 《少し子供ぽいかなという感じではありますが、かなり細身だったのでそうでもありません。試着した感じはジーンセバーグが水玉のワンピースを着た時みたいでした。我ながら。よろしくお願いします。》

誇らしくて、うれしくて

 茨城県高萩市に住む母の大崎きく江さん(当時52)は、娘のはがきを読み、すぐに布屋さんへ行った。

 洋服を作るのが大好きだった。娘の七五三に洋服を作り、成人式には、糸から紡いで赤色に染め上げ、機を織って布をこしらえた。仕立てはお願いし、世界に一つしかないドレスを贈った。

 そんなきく江さんの手にかかって、あっという間にワンピースは完成した。まるで、魔法にかかったみたいに完璧に。

 でも、それだけでは終わらなかった。

 偶然、東京に行く用事があったきく江さん。亜木さんが欲しがっていたワンピースを実際に見ようと、店に行ってみた。

 あら、襟の真珠のビーズの大きさが思っているより大きい。自宅へ戻って、すぐに大玉のビーズに差し替えた。

 そうしてできあがったワンピースを、亜木さんは喜んで着て行った。いとこの結婚式の写真が物語る。

 今年の初夏、きく江さん(86)がたまたま整理をしていたら、この懐かしいはがきが出てきた。

 思わず、読み込んだ。そして、思った。

 娘たちに自分の好きな服を作って着せてきたけれど、もしかして、自己満足だったかな。私は、とても楽しかったけれど、もっと流行の、皆と同じような服を着たかったかもしれない。

 亜木さん(61)にはがきの話をすると、このワンピースを大事に持っている、と話してくれた。

 「いつの時も、母の洋服が誇らしくて、うれしくて。私のことをどれだけ思って作ってくれたかがわかるから絶対に捨てられないんです。もうこのワンピースも細すぎて着られないんですけどね」

 携帯やスマホで、写真も瞬時にやりとりできる今では考えられないやり方かもしれない。でも、色あせたはがきを読むと、当時の娘の必死な気持ちが伝わってきて、きく江さんは思わずほほ笑んでしまう。

 このはがきも捨てられない。きく江さんは、そう思っている。

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