第17回送り続けた絵はがき1千通 手元に戻った「人生」は母からの贈り物
色とりどりの植物のスケッチ、旅先の写真、駅のスタンプも。
数冊のファイルには、およそ1千通もの絵はがきなどがまとめられている。
そのすべては田中義行さん(73)=奈良県香芝市=が母の静江さんに送ったものだ。
介護つき老人施設で暮らす母が退屈しないようにと、田中さんは10年以上、数日おきに郵便を出した。その多くを大切に保管していた静江さんは3年前に100歳で亡くなり、送った便りは差出人の田中さんの元にかえってきた。
月1回のペースで施設を訪れると、田中さんは母を車いすに乗せて1、2時間散歩した。
「花が好きで、野に咲く花を見つけたら喜んで。摘んで持たせたら笑顔を見せていました」
静江さんが施設に入って数年経ったある日、田中さんは近所のスモモの木にたくさんの花が咲いていることに気づいた。
実家が農家だった静江さんは、果実のなる木の花が好きだった。
ああ、見せてあげたいな。
『先日はゆったりと車椅子散歩がたのしめてよかったです。もっと花がいっぱい咲いていたら、もっといいのですが』
スモモの白い花を描き、そんなメッセージを添えたはがきを送った。
静江さんは、1通1通に感想を言うわけではなかった。でも、時々ベッドの上で体を起こし、ファイルの中のはがきを見ていることがあった。
そんな姿を見るのはうれしかった。
静江さんの死後、施設の個室を整理すると、仏壇の下にファイルが保管されていた。母から息子への、思いがけない贈り物だった。
「母が読んでくれると思ってはがきを送り続けなければ残らなかった、自分の人生の記録です」
アメリカの司法試験に受かった理由
東京都の50代の女性は30年ほど前、留学先のアメリカで、アメリカ人の男性に出会った。
同じ大学の先輩と後輩という関係。誠実な人柄にひかれ、交際を始めた。1年の留学を終えて帰国後、遠距離恋愛になった。
メールもSNSも普及していない時代、海を隔てた彼に英語でラブレターを送り続けた。
詩、映画の感想、日々の出来事。時にイラストを交え、便箋(びんせん)や切手にもこだわった。
ところが、返信は破ったリポート用紙に簡単な文章が並ぶだけ。
『元気ですか? 僕は元気です。毎日、忙しいです』
それでも、日々仕事に追われる彼から返事が届くだけでうれしかった。
3年後、女性は両親の猛反対を押し切ってアメリカに戻り、国際結婚した。
ローカル紙の新聞記者として働き、犯罪被害者の取材をしたことをきっかけに今度は弁護士を目指した。
米国の司法試験に1度目の挑戦で合格した。もちろん、すべて英語の試験だ。
「英語でたくさんのラブレターを書いた成果があったのでしょう」
女性には忘れられない「手紙」がある。
今は大学院生になった息子からのものだ。
アメリカで生まれ育った息子は、小学生の時に日本に移った。
「日本の学校なんて大嫌い!」「ママは日本人だから、わからないんだよ。どんなに日本語が僕に難しいかってこと」。そう言われたこともあった。
その息子が中学生だったころ、女性は入院した。
『早く帰って来てください。楽しみに待っています』
そう締めくくられた息子からのメールは、長文の日本語だった。日本語で文章を書くのが苦手だったはずなのに。
「心揺さぶるメッセージとして記憶に刻まれています」