見渡す限り金色に染まった稲穂を、コンバインが次々と刈り取っていく。
秋田市から車で1時間の秋田県大潟村は、かつて日本で2番目に大きい湖、八郎潟だった。戦後の食糧難を解消しようと、20年にわたる国家事業として約1万7千ヘクタールが干拓された。誕生した大地は、米生産の一大拠点となり、食卓を支えてきた。
開村からちょうど60年となる今年、全国が「米不足」に揺れた。
慢性的な米不足への危機感
「日本にとって最悪のシナリオが始まった」
新潟県出身で、1970年に入植した大潟村あきたこまち生産者協会の涌井徹会長(75)は、危機感を隠さない。
そもそもなぜ不足しているのか釈然としない、と涌井さん。確かにインバウンドによる消費の増加や猛暑で品質が低下した影響はあったかもしれない。だが、「どれも決定的な要因にはなり得ないだろう」と言う。
「わずかにバランスを崩しただけで米の在庫が底を突く。それだけ生産力が落ちていることに他ならないのではないか」。これからも慢性的に米不足が続くというのが、「最悪のシナリオ」だという。
なぜこうなったのか。涌井さんは50年近く続いた減反政策にこそ原因があるとみる。
減反は、米が余って米価が下がらないよう、生産量を減らす国策だ。涌井さんが入植した翌年から本格的に始まり、全国から増産を夢見て大潟村に集まった農家を直撃した。
「自由米」とは「ヤミ米」だった
涌井さんは国に従い、麦や大…