谷川俊太郎さんが残した校歌たち 後悔から15年後に変えた歌詞も
田渕紫織 松本敏博 才本淳子 三木一哉 宮廻潤子
子どもから大人まで多くの人に親しまれた詩人の谷川俊太郎さんが、亡くなった。100校を超える校歌の作詞を手がけ、後悔から歌詞を変えたことも。谷川さんの言葉は、全国の学舎(まなびや)に根を張っている。
四日市ぜんそくに逡巡
「この空は 宇宙へつづく 新しい 答えを待って」――。谷川さん作詞の三重県立四日市南高校の校歌ができたのは1963年。作曲は武満徹さんだ。梅原浩一校長は「谷川さんが初めて作詞した校歌で、知人の武満さんに作曲をお願いしてくれた」と聞いた。
実はこの歌詞、78年に変更された。「炎をあげる スタックが 限りない 未来を照らす」とあった一節は、「心にひめた 問いかけは 限りない 未来をめざす」に。契機は、四日市ぜんそくだった。
「私は知らず知らずのうちに、学校を国家に隷属させる手助けをしていた」ーー。谷川さんの逡巡を、学校はどう受け止めたのでしょうか。別の小学校では「大人にとっても、かみしめればかみしめるほど心に響く」という歌詞も。
「当時、日本の高度経済成長…
谷川俊太郎 未来を生きる人たちへ
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