第1回「もうええよ」と逝った母、骨さえない妹弟 更地に築いた家族の証し

有料記事8・6 あの場所で、もう一度

田辺拓也 東谷晃平
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 原爆は、目抜き通りの本通商店街(広島市中区)にあった生家を吹き飛ばした。家族6人の命とともに。奥本博さん(92)は悲しみを抱えながら、更地になった同じ土地に戦後、再び家を建てた。「家族との思い出が詰まった土地を守りたい。その一心だった」。

 130年以上続くその土地に現在も息子夫婦と住んでいて、1階の貸店舗には衣料品店が入る。あの日から77年、商店街に立つとふと考えることがある。「犠牲になった人たちは、広島の繁栄ぶりをどんな思いで見ているだろう」。記憶の中の街並みが、にぎわう今の景色と重なる。

朝日新聞広島版で14年続く連載「聞きたかったこと」。 約400人が被爆体験とその後の人生を語ってくれました。被爆77年の今年、忘れられない「あの場所」で再び話を聞きました。 当時の記事も再録しています。

 学徒動員中だった仁保町(現・南区、爆心地から4・1キロ)で被爆した。市街を包む火の海に阻まれ、金物店をしていた生家にたどり着いたのは翌日だった。

 「家族は全員避難しているは…

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この記事を書いた人
田辺拓也
映像報道部
専門・関心分野
ハンセン病、写真
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