野球場から織りなすダイバーシティー 「我が国」ニッポン創る一歩
評論家・林晟一さん寄稿
9月に2学期がはじまり、勤務校と提携するベトナム・ハノイの高校から、11人が授業体験にやって来た。日本の高校生とじかにふれあうのは、実質的にこれが初めてだ。勤務校がベトナムから生徒を受け入れるのも、初めてのことだった。
1週間弱の体験とはいえ、個人的には感慨深いものがあった。彼らはハノイの高校で日本語を学んでおり、日本人生徒とも十分にコミュニケーションできた。ゆくゆくは、日本の大学への進学を目指してもいる。
バディの生徒宅にホームステイし、登下校も一緒だ。すべての授業を、日本人生徒と一緒の教室で受けた。最終日の彼らの表情は、とても満足そうだった。
別れぎわ、ベトナム人生徒のひとりが私のほうへ寄ってきた。「先生、本当に、どうもありがとうございました」。心地よい日本語が、耳と心に染みてゆく。
「また一緒に、野球やりたいです」。そう続けた彼は、メジャーリーグで活躍する大谷翔平選手の大ファンだ。ただ、ハノイでは野球をやるチャンスがなかっただけに、我が野球部員らと一緒に部活に励んだことを喜んでくれた。
異文化間のふれあいは、経験の質が肝心だ。とくに、最初期に出逢(であ)った人にどんな印象を持つかは、その国のイメージを形成する上で重大である。
民族的マイノリティーの教員として
そう考える私は、在日コリアン3世(戦前、戦中もしくは戦後まもなく日本へ渡ってきた朝鮮人の子孫)だ。東京の中高一貫校で歴史や政治を教えて、およそ10年になる。
小泉純一郎首相が北朝鮮を訪問した2002年以後、この国では「在日」バッシングとヘイトスピーチが深刻化した。うんざりした私は、国籍を「朝鮮」籍から韓国籍へ変えた(詳しくは拙著『在日韓国人になる』を参照)。
そのまま日本人を憎むことができれば、むしろ楽だったかもしれない。だが、公立の小中高を出て私大で学んだ私には、救いの手を差しのべてくれる日本人が多かった。友だち、ご近所、先生はもちろん、民族の区別なく奨学金を給付してくれた多くの財団なくして、今日の私はない。
だからこそ、移民国家ニッポンを見すえ、民族的マイノリティーの教員としてできることはやらなきゃ、との思いがある。移民国家ニッポンのより良い未来を、せっかくならみんなで一緒に切り開きたい。
みんなとは、この場合、日本…
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- 【視点】
「ダイバーシティー」。こう唱えることぐらい、誰でもできる。それこそ、口先三寸の政治家にも。しかし、そんな社会を実際に創り出そうとしている人はそう多くはない。ヘイトスピーチに晒されてきた民族的マイノリティーの教員だからこそ〈できることはやらな
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