行動する傍観者 見過ごしたくない時、「おせっかい」していいですか
記者コラム「多事奏論」 岡崎明子
師走が訪れるたびに、胸が痛む。
その日、私は東京・渋谷駅の通路を娘と歩いていた。確か、子どもの習い事に向かう途中だったと思う。30代ぐらいの母親が、4、5歳の男の子を罵倒している場面に出くわした。「てめえ、ふざけんなよ」「一人で帰れ」。その子は「ごめんなさい」と泣きながら謝っている。
何とか救いたいと思った。でも「何か事情があるのかも」「立ち入るのは、おせっかいではないか」とさんざん迷った揚げ句、何もできなかった。後味の悪さは、何年経っても消えない。
だから、「アクティブ・バイスタンダー(行動する傍観者)」という言葉を知り、「これだ」と目が開かれる思いがした。ハラスメントや差別を受けている人に適切に介入する第三者のことで、事態が悪化するのを防ぐ効果があるという。一般社団法人ジェンダー総合研究所が実施している研修を、さっそく受講した。
冒頭、共同代表の濱田真里さんの言葉にショックを受けた。「何もしないということは、目の前のハラスメントを容認することにつながります。差別行為を見過ごすことは、『中立』ではなく、差別への加担になり得ます」
英国の団体が発表する「世界…
- 【視点】
■まず忘年会・新年会、年末年始の帰省から「行動する傍観」を実行しよう 「激しく傍観する」という表現を20年くらい使っている。「アクティブ・バイスタンダー(行動する傍観者)」というコンセプトの提唱、ナイスである。この檄を受け止め、実行しな
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