ルッキズムの向こうへ② 社会学者・高橋幸さん
人を外見で判断・評価する「ルッキズム」。画一的な美の基準によって起こる差別や偏見に厳しい目が注がれる今なお、社会に根深く残るのはなぜなのか――。社会学者の高橋幸さんは、SNSによって強まる「序列化」や「性別二元論」の問題を指摘します。個人の問題ではなく、社会がかかわる問題として、ルッキズムから脱していくには。
――ルッキズムにどのような意味や批判が込められていますか。
外見で人を判断し、批判する時に用いられる言葉で「外見至上主義」と訳されます。英語圏でも2000年代以降にメディアで頻繁に使われるようになった比較的新しい言葉です。
「内面」をよく知ろうとせず外見の印象で人の能力や価値を判断することが批判されるのはもちろん、近年のルッキズムの批判は「外見」をめぐるこれまでのコミュニケーション上の社会的慣習を変えるよう求めている点にあります。
――SNSの広がりと関係していますか。
大学でルッキズムについて話すと、学生たちは「SNSがルッキズムを増長させている!」と力説します。
主にインスタグラム、ユーチューブ、TikTokといったSNSは、誰もが発信でき、世界的ポップスターからアイドル、モデル、インフルエンサー、自分や友人までをも、フォロワー数という一つの尺度で連続的に位置づける新しい社会空間を作り出しました。フォロワー数は知名度や社会的影響力の指標であると同時に、広告収入などカネにも直結し、「たかが数字」と無視することはどんどん難しくなってきています。フォロワー数が自分の「社会的価値」だと人々に感じさせるような社会構造が、この10年でたしかに強化されてきています。
増幅する外見評価、カウンターとして
では、どういう条件を備える人がフォロワー数を伸ばしているのか。
現在成功している職業的ユー…