第4回16歳に戻りたい「手術でなく支援があれば」 相談会で出会った因縁
イチゴやハーブの植木を育て、草むしりをし、ニュースを欠かさず見る。
宮城県の飯塚淳子さん(活動名、70代)はいま、そんな静かな日々を送る。
県内の海沿いの町に、7人きょうだいの長女として生まれた。苦しい生活を、働き者の母が支えた。
中学生のとき、民生委員に身に覚えのない窃盗の疑いをかけられた。「知的障害がある」とされ、知的障害児施設に入所させられた。
県内では当時、優生思想を広めるため「愛の10万人県民運動」が繰り広げられていた。施設も募金活動で設立された。
その後、施設から出て、住み込みの手伝いとして「職親」に預けられたが、そこで虐待を受けた。
16歳のとき、その職親から何の説明もなく、診療所へ連れて行かれた。麻酔の注射をうたれ、目が覚めたらベッドの上にいた。おなかがズキズキと痛んだことを覚えている。自宅に戻ってから、両親が「子どもを産めない手術をされた」と話すのを耳にした。
「知った瞬間から、苦しみが始まった」。飯塚さんはそう振り返る。
結婚したが、長く続かなかっ…
- 【視点】
当事者らが味わってきた苦しみはどれほどだったか。 私たちは考えなければならない。旧優生保護法による不妊手術の強制は長年、「公益目的」として正当化され、戦後も対象が拡大された。それは国民の反対を押し切って政府が強行したわけでなく、むしろ支持す
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