娘に会いに登る87歳、父の墓標に酒注ぐ息子 日航機事故から39年
日本航空(JAL)のジャンボ機の墜落事故は、12日で発生から39年がたった。単独の航空機事故としては世界最悪の乗客・乗員520人が亡くなった。遺族らは、現場となった御巣鷹の尾根(群馬県上野村)に朝から登って慰霊した。
相模原市の飲食店経営寺門史明さん(61)は、21歳で亡くなった友人加藤博幸さんの慰霊に訪れた。寺門さんは当時、加藤さんとコンビを組んでお笑いやものまねをしていたという。
「テレビに出始めでこれからという時だった。『今年も精いっぱいやった』と報告しました。年末年始でなく8月12日が、自分にとって1年のリセットボタンを押す日なんです」と話した。
今年1月には東京・羽田空港の滑走路で、海上保安庁の航空機とJAL機が衝突し、海保機の5人が死亡する事故があった。「なかなか事故はなくならないが、こうして慰霊を続けることが一番の啓発になるのかもしれない」。この日は、加藤さんが好きだったというヒマワリの花を墓標に手向けた。
大阪府吹田市から親戚と来た柴田百合子さん(87)は、娘の千合子さん(21)を亡くした。娘を一番近くに感じられる場所だといい、毎年欠かさず8月12日に登っている。
「お元気?」「そちらはどうしているの?」。墓標の前で毎回聞いているのだという。今年は、千合子さんの好きだったお酒を置いて、「来年も来るからね」と声をかけた。
兵庫県西宮市の小西正明さん(69)は、父、義員(よしかず)さん(当時58)の墓標に大好きだった日本酒を注いであげた。
父は阪急電鉄の技術者だった。深酒をしても次の日には必ず定時に出勤していた。鉄道の信号や通信など安全に関わる技術を扱っていた父は、自分の仕事に誇りを持っていた。それだけに航空機事故に巻き込まれ亡くなったことは無念だったろうと思う。
「突然の死はやっぱりつらい。やけど人間、笑っていないとダメだ」
慰霊登山の前日にあった灯籠(とうろう)流しであいさつに立ち、事故発生「39」周年にかけて、支えてくれた人たちに向けて「サンキュー」と笑顔でスピーチした。8・12連絡会の美谷島邦子さんには「グッドメッセージだったよ」と喜んでもらえた。
父の墓標の前でも笑顔でこう伝えた。
「よしっ、来年もくるぞ!」
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