担ぎ屋、押し屋・・・消えた昭和の仕事 現代を生きる私たちへの問い

有料記事リレーおぴにおん

聞き手・富田洸平
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 紙芝居屋、担ぎ屋、地金屋、タイピスト――。昭和の時代には、さまざまな仕事が広がってはすたれ、消えたものも多くあります。

 「姿を消した昭和の仕事に思いをはせることが、現代を生きる私たちのヒントになる」と、ノンフィクション作家の澤宮優さんは言います。

リレーおぴにおん「100年目の昭和」

 「昭和の仕事」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。蒸気機関車の機関士やエレベーターガール、タイピストといった花形。野菜などを背負い都会へ売りに行く行商、紙芝居屋といった仕事は、映画などにも登場します。一方で、時代に翻弄(ほんろう)され見向きもされなくなり、消えていった仕事が数多くあります。私はそうした仕事を一つ一つ調べました。

 きっかけは昭和2年(1927年)生まれの放浪詩人、高木護(たかきまもる)の伝記を執筆するため、本人に話を聞いたことです。彼は太平洋戦争から復員後、九州を放浪しながら120種類もの仕事に就きました。布きれを選別する「ボロ選別工」、戦争中の配給制度で闇屋の手先として買い出しに行く「担ぎ屋」、銭湯で入浴客の背中を流す「三助(さんすけ)」、用心棒。ほかにも、今では考えられない仕事が多くありました。貧しかった頃ですから、庶民は、なんとか食べていくために様々な仕事に就きました。

 ただ、時代は残酷です。戦後の復興から高度経済成長を経て、非効率な仕事や誰でもできるような仕事は次々と姿を消していきました。例えば、モータリゼーションの発達で、大八車で荷物を運ぶ「車力屋」、坂の下に立ち大八車を押すのを手伝う「押し屋」もいなくなりました。道に落ちている金属を拾い業者に売る「地金屋」、家々を回り廃品を買い取る「くず屋」なども公衆衛生の向上とともに減っていきました。時代はさかのぼりますが、エンターテインメントの分野でも、無声映画の登場人物のせりふやストーリーを舞台に立って語る「活動弁士」は、トーキー映画の登場で多くが職を失いました。紙芝居屋に活路を求める人もいましたが、テレビの登場でまた行き詰まってしまいます。

ノスタルジーで語るのではなく

 私は、昭和の仕事をノスタル…

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