第2回「ブッシュ氏は元来臆病で…」中曽根節の面目躍如、イラク人質解放へ

 冷戦終結の翌1990年、イラクのクウェート侵攻が世界を揺るがした湾岸危機。日本は米国から多国籍軍への支援を迫られた。一方、イラクを巡り、別の問題も浮上していた。

[PR]

 イラク包囲の動きが加速し、邦人「人質」問題が深刻化していた。打開すべく、中曽根康弘元首相のイラク訪問が浮上した。

 政府特使派遣による個別交渉は国際協調を乱す恐れがあった。公開されたこの件に関するファイルには、米大統領報道官が記者会見で「フセインがあらゆる手段で分断を試みている」と述べた上で、中曽根氏らの訪問に「大きな憂慮を抱いている」とクギを刺す記録が収録されている。

 一連の文書によると、外務省は「政府とは無関係」としつつ調整を続けた。省内資料には中曽根氏の訪問について「対米配慮の観点から注意」「イラク側にプロパガンダとして悪用される恐れ」とある。10月下旬に栗山尚一事務次官が中曽根氏を訪ね、懸念を伝えた。

 栗山氏は「もう一個呼吸おいては」と再考を促したが、中曽根氏は「米中間選挙前の方がいい。選挙後となれば事態は危うい」と取り合わない。「海部の手紙は要らない」と話す中曽根氏に、「恐縮ながらフリーランスで」と栗山氏が私的訪問を念押しすると、「(自民)党とは背後で手を握っていればよい」。

 フセイン大統領との会談に向…

この記事は有料記事です。残り1183文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません

外交文書は語る

外交文書は語る

30年が経過した外交文書は原則公開対象となります。朝日新聞の記者らが、これらを徹底して読み込み、取材や分析を加え、日本外交史の真相に迫ります。[もっと見る]