泣きながら歩いた御池通 高2で白血病、20歳で知った戻れない道

有料記事患者を生きる

阿部彰芳
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 その日は、学校の授業で演劇をみに大阪に行くはずだった。京都市の女性(28)が高校2年だった12年前の7月。家を出ようとした矢先、携帯電話が鳴った。病院に出勤した看護師の母からだった。

 「大阪に行ったらあかん」と止め、母の病院に父と来るように言った。父の車で病院に着くと、母も乗り込んだ。向かう先は、京都第二赤十字病院だった。

 道中、母が言った。

 「白血病かもわからん。ちゃんと診てもらおう」

 女性は思わず「死ぬの?」と聞き返した。だが、不安はなかった。何がなんだか、受け止め切れていなかった。

 京都第二赤十字病院に着き、白血病か調べる骨髄検査を受けた。うつぶせになり、骨盤の大きな骨に針がさし込まれる。局所麻酔はしていた。だが、骨の中の骨髄液を吸い取る際に激痛が走った。母の手を握りしめて泣いた。

 昼ごろに結果が出た。急性骨髄性白血病だった。

 仕事に出ていた2歳上の兄には、母が電話で伝えた。最後に「ちゃんと仕事しぃや」と励ましたが、「そんなんできるか」と兄は涙声で返した。

 女性の手のひらには、少し前から数ミリの赤い斑点が出ていた。母は、勤め先の病院で診てもらうように勧め、前の晩に5歳上の姉が連れて行ってくれた。診察では原因はわからず、採血をして帰った。

 翌朝、白血病の疑いを知らせる緊急ファクスが、検査会社からその病院に届いた。

 主治医になった京都第二赤十字病院血液内科の河田(かわた)英里(えり)医師(現在の所属は松下記念病院血液内科)は「放置しておくと、週単位、月単位で悪くなって死に至る病気です。基本的に早く治療した方がいい」と説明した。

 すぐに入院が必要だったが、何も準備していない。その日は帰らせてもらい、近所の美容院で、伸ばしていた髪をばっさり切った。

 入院した日の晩は姉が付き添…

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