過度な競争社会、排除されるのは誰か 数字だけでは見えない価値問う
あらゆることが数値化され、エビデンスや客観性を重視する社会を問う「客観性の落とし穴」(ちくまプリマー新書)が反響を呼んでいます。序列化とともに、競争が加速する社会の「しんどさ」から抜け出して社会をみることはできるのか。著者の現象学者、村上靖彦さんに聞きました。
――6月の発売以降、版を重ねています。
元々、若い世代に向けたレーベルから出した本でしたが、全く想定していなかったような媒体から取材を受けることが増えました。ビジネス誌のほか、地方自治の雑誌の取材など、さまざまな依頼があります。ビジネスや行政の現場にいる人も、PDCAサイクルやKPI(重要業績評価指標)などで数字を追いかけているけれど、実はしんどいのだろうと思います。数値化を求められる社会で、数字ではないところから価値を見いだしたいという意識を感じます。
――本の帯で「数字で示してもらえますか」など、数字や客観性を重視する風潮の中で飛び交う言葉も出ています。どのように思われますか。
そうした発言をする人を意識してはいませんでした。なぜ数字や客観性にこそ意味があるという感覚が普通になる社会構造なのか、というところをみようとしてきました。
――著書では、自然科学や社会だけでなく、心の動きなども数値化されるようになり、人を序列化し、優劣をつけることへの警鐘を鳴らしています。エビデンス重視に疑問を抱く理由は。
大阪大に赴任する前に東京にいた時、自閉症の子どもたちと遊ぶ場にボランティアとしてかかわり、ここにいるのは楽だと感じていました。
――楽、ですか。
ビジネスの世界はよりそうだと思いますが、私も研究者として業績や目標を数値化し、実績を求められる社会に身を置き、数字に縛られた生き方をしてきました。他人から評価されることがない、競争に駆り立てられる世界から解放される場と関係のなかにいることは、とても楽でした。
本ではあまり書いていませんが、15年前に大阪に来てから、精神障害をもつ当事者と知り合い、「当事者研究」の集まりや全国交流会の運営にかかわりました。そこでは、何かをしなければ、働かなければ、努力しなければならないということが価値ではなくなります。障害をもつ人たちとかかわる中で、社会的な規範が無意味になることに気づいた経験は大きかったです。
――行き過ぎた競争は「排除」につながると指摘されています。
競争による排除と優生思想は…
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