第3回木造こだわる河村市長、無理なら「全員切腹」 対立拡大に透ける思惑
名古屋城天守の木造化をテーマにした6月3日の市民討論会後、名古屋市の河村たかし市長への批判は強まっていく。
差別発言を傍観していた姿勢が議会でも問題視され、市役所前では、障害者ら約150人が集まる抗議集会も開かれた。
そんななか、河村市長は報道陣にこう漏らした。「名古屋にたった一つの宝をつくらせて、と言っている。何が悪いのかね」
インターネット上ではいまでも、「時代考証的にエレベーターはありえない」などと河村市長を擁護するような意見も目立つ。
河村市長が掲げる「史実に忠実」か、障害者団体などが訴えるバリアフリーの充実か。木造復元は市民間に分断を生んでいる。
なぜ対立するのか。改めて経緯をたどってみた。
「コンクリートでは寂しいんでないの」 突然ぶち上げた木造復元構想
江戸幕府が威信をかけて築いた名古屋城はその規模や格式から、全国屈指の名城に数えられる。戦前には城郭として国宝第1号となっていた。
名古屋空襲で焼失した天守は戦後、二度と焼失しないよう鉄筋コンクリート造りで再建された。
エレベーター(EV)も設置されたが、外観は正確に復元され、復興の象徴として市民から愛された。
だが近年、城ブームを背景に…
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- 【視点】
1938年の建築で、文化財として保存を求める声もあった愛知県立旭丘高校(名古屋市東区)の校舎取り壊しをめぐり、民主党衆院議員当時の河村たかし・名古屋市長は、同校OBとして取り壊し反対活動を展開しました。著書の中で、自分自身を校門に鎖で巻いて
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