年に2回、400ml献血を続けています。アルコール飲み過ぎでγGTPが60あたりをうろうろしている以外は、これといった持病もなく過ごしているので69歳まで献血できそうです。
前回の献血で成分献血をお願いされました。検査のための採血の看護師さんと、献血担当の看護師さんの二人から。女性でも成分献血なら16週ごとに献血できるのです。
もっと若い元気な人のほうがいいだろうけど、少子高齢化で血液が足りず60代の血液まで当てにされているのでしょうか。今まで献血したことのない人にお願いするのはハードルが高いけれど、ずっと献血を続けている人なら応じる可能性も高いからかもしれません。
しかも、私に声をかけた理由が「血管が太い」! 言われてみれば、献血や健康診断のための採血はいつもスムーズでした。成分献血は血漿だけを取り出して残りを体内に戻すので、血管が細い人ではむずかしいそうです。
思い出したのは、今年最も感銘を受けたノンフィクション『統合失調症の一族』のサムとナンシーのゲイリー夫妻です。
10人の息子たちが次々と狂っていく一家を支援したのが、石油業界で巨万の富を築いたゲイリー夫妻です。石油採掘は一種の山師であり、どこを掘るかが勝負。
サム・ゲイリーの人生哲学は「一生懸命働いてきたとはいえ、運にも恵まれた。助けを必要としている人がいれば、自分にできるときには助ける必要も感じている」というもの。
ゲイリー夫妻ほどでなくても、私が金銭的不安もなく勝手気ままな老後を送れているのも、運に恵まれたから。誰かを手助けして社会に恩返ししなければ、手痛いしっぺ返しを受けるでしょう。
そして、『グレート・ギャツビー』の冒頭の一文も心に深く刻まれています。
“Whenever you feel like criticizing anyone,” he told me, “Just remember that all the people in this world haven’t had the advantages that you’ve had.”
「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ」と父は言った。
「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではないのだと」(村上春樹訳)
世間のすべての人が、私のように健康体で生まれたわけではありません。健康な人間がそうでない人を支えるからこそ成り立つ社会。
というわけで、クリスマスシーズンに成分献血に行ってきました。クリスマスは分かち合いの時期ですから、献血にふさわしいタイミングです。
全血採血より時間がかかりますが、本を持ち込んで読書に没頭していたので気になりません。
ぎょっとしたのは、献血が終わって針を抜いたとき。血管が太いせいか、勢いよく血液が出て、下に敷いていたタオルがみるみるうちに鮮血で真っ赤に! 視覚に影響を受けるタイプなのか、一瞬、頭がくらくらしてきましたが、体調に異常はなく無事に帰宅。老体でも私の血液が社会の役に立つなら、これからも献血を続けていきます。