カメラほんのかけだし

カメラ、鉄道、車、旅行など思いつくまま書いてみます。
国鉄中山寺駅 1977 その2
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    このころは、有人駅だったが改札業務は行っておらずホームへの出入りは自由に出来た。
    駅前は北側のみで現在の様な南側入り口は無く南側はいきなり田んぼだったと記憶している。



    Olympus 35DC Zuiko40mmF1.7   中山寺
    どこの駅にも有った防火用水のドラム缶。駅員が中に鯉や金魚を飼うことも多かった。



    Olympus 35DC Zuiko40mmF1.7   中山寺
    夕方前には宝塚と生瀬の間にある惣川貨物駅からの筋だったか、単機回送のDD13が走っていました。
    ホームも未だ低くキハ17などは良いがキハ52や47になるとステップが高く年配者の昇降は楽ではなかった。



    Olympus 35DC Zuiko40mmF1.7   中山寺
    これが当時の駅前の図。雑貨屋が一軒あるだけだったと記憶している。
    中山寺へは殆どの人が阪急を利用していた。
    繰り返しですがそんなに昔ではありません・・・。のつもりです。


    | kazu | 鉄道 | 07:19 | comments(5) | trackbacks(0) | - | - |
    国鉄中山寺駅 1977 
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      1977年当時の旧国鉄福知山線は中山寺駅の光景であります。
      当時中学生だった小生のつたない視線であります。

      個人的にはちょっと前程度の感覚だが、35年以上経過すると隔世の感はぬぐえないものがあります。



      Olympus 35DC Zuiko40mmF1.7   中山寺
      構内全景、標準的な国鉄駅の典型であります。駅舎は前身の阪鶴鉄道の建物がそのまま使用されていました。



      Olympus 35DC Zuiko40mmF1.7   中山寺
      跨線橋は無く宝塚行きホームへ行くには左右を良く見て線路を渡る。



      Olympus 35DC Zuiko40mmF1.7   中山寺
      これまた典型的な駅名板。駅によっては右書きが残っていたりした。

      | kazu | 鉄道 | 06:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      近鉄伊賀線 1981
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        近鉄伊賀線(現 伊賀鉄道)の1981年当時の画であります。
        5000系にもスカートが取り付いたころで、未だ地方線では釣りかけ車が健在でありました。
        このころより全国的に釣り掛け車が淘汰されて姿を消して行きました。



        新居−西大路    Canon F1 200mmF2.8 TX  



        新居−西大路    Canon F1 100mmF2  TX 
        後方に上野城が見える。 



        新居−西大路    Canon F1 100mmF2  TX 
        今は国土交通省によって治水の土手が作られており土手下を走る光景となっている。

        | kazu | 鉄道 | 06:41 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        身延山 玉屋旅館
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          最近印象に残った宿をご紹介します。

          山梨県は身延山の久遠時門前にある玉屋旅館であります。
          建物は所謂老舗旅館の例に漏れず、建て増しを繰り返した複雑な構造をしており、酒に酔ってウロウロすると間違いなく迷ってしまう造りである。
          宿泊した部屋は、偶然だったが竹久夢二の泊まった部屋との事で、当時の姿のまま残されているそうです。

          一度ゆっくり滞在して、明治大正の気配に浸ってみるのも良いものだと思います。



          夢二の間  Nikon D3 24-70mm
          襖で仕切られた三部屋続きを独占出来る。



          廊下寸景  Nikon D3 24-70mm 



          回廊より Fuji Finepix AX600

          | kazu | 旅行 | 06:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          宝塚駅の記憶 1977
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            1977年の宝塚駅の様子をご紹介します。
            ご年配の方はご存知の方も多いと思いますが、特に平成生まれの方には新鮮かも知れませんね。

            当然の事ながら非電化で、DD54や、少し前まではDF50なども見られた。朝の通勤列車で長大編成の426Dや夕方の惣川からのDD13貨物なども懐かしい思い出であります。

            80年代に入り阪急宝塚駅周辺の再開発に始まり、JR駅周辺も急速に変貌を遂げることとなる。

            Olympus 35ED Zuiko38mmF2.8  宝塚
            DD5412が先頭に立つ 福知山行き



            Pentax KX SMCP50mmF1.4  宝塚



            Olympus 35ED Zuiko38mmF2.8  宝塚
            当時は編成がホームに収まりきらずに線路へ飛び降りる乗客もそれほど珍しい光景ではなかった。


            | kazu | 鉄道 | 19:04 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
            列車順行逆行区間のこと
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               阪急宝塚線の宝塚駅が地上駅だったころ、2線ある宝塚線ホームへ交互に列車を入れるために当然駅付近に渡り線が必要となるが、駅を出て当時の国鉄の線路を高架でまたぐ為に、すぐに急勾配となりポイントが設置出来なかったのか渡り線は隣の清荒神駅付近に設置されていた。
               このため2〜3kmくらいはあったろうか、到着番線の都合により列車が本線を順行逆行する運用が行われていた。

               基本的には。宝塚行きの急行なら順行入線、普通なら逆行入線といった具合である。
              清荒神と宝塚駅の中間にある踏切では、どっちの線路をどっちから列車が来るか良くわからない不思議な踏み切りだった。蛇足だが宝塚小学校に通っていた昭和40年台半ばまでは、殆どの踏み切りに小屋があり、踏み切り警手が旗を(夜はランタンを)振っていたことを記憶している。




              清荒神−宝塚 Olympus OM-1 Zuiko50mmF1.8     手前側が宝塚方  1977年
              宝塚行き普通977他8連(梅田方は974だったか 朝晩には急行運用のあった頃)



              清荒神−宝塚 Olympus OM-1 Zuiko50mmF1.8                     1977年
              梅田行き急行 (2100系7連 未だ非冷房だった)



              清荒神−宝塚 Olympus OM-1 Zuiko50mmF1.8     手前側が宝塚駅方向
              入換ポイントが国鉄の高架付近に移動したあとの画、この頃は中間に連結された先頭車の乗務員窓は開け放題だった。
              後に宝塚駅が高架駅となりポイントも駅付近に設置となった。

              | kazu | 鉄道 | 07:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              南海貴志川線 寸景
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                南海貴志川線(現和歌山電鉄) 1985年5月訪問時の絵をご紹介します。

                当時は南海1200系が元気に走っており、前掛けをした様な面長な顔と大きな前照灯、そして幌の似合う「いい面構え」で頑張っていました。

                車庫は路線途中の伊太祁曽駅にあり、同時に交換駅となっておりのんびりとしたタブレット交換風景を見ることが出来ました。



                Zenzabronica S2 Nikkor75mmF2.8 伊太祁曽



                Zenzabronica S2 Nikkor75mmF2.8 伊太祁曽




                Zenzabronica S2 Nikkor75F2.8 伊太祁曽
                | kazu | 鉄道 | 18:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                上田交通別所温泉駅 入換風景
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                  あまりの忙しさに?しばらくお休みしておりました!

                  上田交通(現上田電鉄)別所温泉駅の1983年当時の入換風景であります。

                  このころは1500Vへの昇圧を控えて車両も設備も忙しく変遷を遂げた時期であります。
                  車両はクハ252とモハ5371で、朝のラッシュを迎えて別所温泉駅の引き上げ線に留置中のクハ252をモハで引き出す光景であります。

                  かつては運転台の無い付随車を従えて別所温泉駅へ登ってきた列車は、終点折り返しの為に付随車を後ろ側に付け替える際、駅員が切り離した車両をテコ棒で引き上げ線に押し上げ、動力車が本線に逃げている間に、付随車は勾配のある引き上げ線から自然流転させて入換を完了させると云う珍しい光景があったとのことであります。


                  別所温泉 CanonFTb FD50mm
                  ラッシュ時間の始まりに、引上げ線に留置の252を引き出しに向かう5371.
                  今から思えば、当時車庫のあった上田原で増結しても良かったのでは?と・・・。



                  別所温泉 CanonFTb FD50mm
                  連結完了。今はこの線路はつながっておらず、丸窓電車が保存されている。




                  別所温泉 CanonFTb FD50mm
                  引き出されてホームに入る編成。手前の2番線は現在は撤去されている。
                  又、このクハ252、意外にも乗り心地の良い車でありました、1986年の昇圧まで使用されていました。

                  | kazu | 鉄道 | 23:09 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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